内閣法制局長官に前フランス大使の小松一郎氏が就任した。憲法解釈の見直しによる集団的自衛権の行使容認派であることから「安倍カラー」の人事として注目された。
そもそも霞が関官僚に憲法解釈が委ねられていること自体がこの国の病理だが、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏はさらにこの人事の危険性について「外務省出身者が法解釈をするポストに就く意味」という観点から解説する。
* * *
安倍政権下、外務省の影響力が急速に強まっている。そもそも外務省は他の省庁と比較して許認可権の少ない役所だ。予算規模も小さい。
しかし、法的観点から外務省は他の省庁が持たない絶大な権限を持つ。それは国際条約(条約だけでなく、協定、取極なども含まれる)に関する権限を独占していることだ。もちろん重要な条約は国会の批准を必要とする。そのような条約であっても外務省がイニシアティブを発揮しなければ、成立することはない。
それとともに条約の有権的解釈(拘束力を伴う公的な解釈)を行なうのも外務省の専権事項だ。その最高責任者は外務省国際法局長(以前の条約局長)になる。国会中継を注意深く見ていると法律に関する質疑での政府の有権的解釈についての答弁は内閣法制局長官が行なう。これに対して、質問が条約や協定に及ぶと、内閣法制局長官は席に戻り、代わりに外務省国際法局長が答弁する。
人数も少なく、唯我独尊的体質の強い外務省は霞が関(官界)で嫌われている。それでも外務省が無視できない力を持っているのは、いま述べた国際条約に関する有権解釈権を持っているからである。
ここで重要になってくるのは、大東亜戦争後の日本の国家体制だ。いかなる国家にもその国家を成り立たしめる根本原理がある。伝統的な用語では「國體」(こくたい)だ。最近は國體というと戦前、戦中の軍国主義を想起させるので国柄と言い換える人が多い。しかし、国柄は國體の文化的側面に焦点をあてた表現だ。軍事力を抜きにして國體を論じても、事柄の本質を逃してしまう。國體の中心は天皇陛下である。
日本が1945年8月にポツダム宣言を受諾する前、「万邦無比の我が國體」は、日本一国のみで成り立っていた。しかし、大東亜戦争の敗北により、我が國體にも部分的にではあるが、重大な変化が生じた。
それは、國體の中心である天皇陛下と皇族を保全する基盤に日米安全保障条約が据えられたことだ。当時の東西冷戦構造下では、ソ連、中国の影響によって日本で革命が起き、日本の國體が、皇統を排除した共和制になる危険があった。そのような形で日本民主主義人民共和国が成立しても、その日本国家や日本人は、民族の伝統、歴史の継続性を失った抜け殻に過ぎない。皇統を護持するために米国との軍事同盟によって革命を阻止する枠組みを作ることが死活的に重要だったのである。
言い換えると、戦後の日本では、國體の重要な柱に日米安保条約が組み入れられた。その結果、外務省の目に見えない重要な任務に「國體の護持」が加わったのだ。
※SAPIO2013年10月号