今季で引退する二人のプロ野球選手、ヤクルトの宮本慎也と広島の前田智徳はどちらも入団した球団一筋に約20年にわたって活躍した。2005年にプロ野球選手会長をつとめるなど、宮本のリーダーシップやチームのために尽くす姿勢はよく知られているが、前田についてそういった話題は少ない。しかし、前田が宮本と同じく「支柱」になっていたのも事実だ。
広島OBたちは、「前田は誤解されている部分が多い」と口を揃える。
「求道者という表現ばかりが一人歩きするけど、アイツは自分の技術ばかりに関心を持っているわけじゃない。チームを思う気持ちは宮本に負けずとも劣らない。ちょっと不器用で、喜怒哀楽でいえば怒と哀ばかり表に出るが、本当は寂しがり屋なんです。若手を引っ張っていこうとしているし、今回のCS進出を一番喜んでいるのは前田だと思う」(元広島・安仁屋宗八氏)
報道陣の前でこそ寡黙だが、チームメートにいわせれば前田は饒舌。ロッカーなどでは仲間とよく話をする前田の姿がよく見かけられるし、後輩にも積極的に声をかけている。東出輝裕や岩本貴裕などはもちろん前田の背中を見て育ったし、小窪哲也は前田が自主トレに連れて行って指導している。
たとえ相手が他チームの選手であっても、教えることを厭わない。
熊本工の後輩である巨人・藤村大介がデビューした時、先輩である前田の元に挨拶に行った。すると前田は藤村に、「昨日の自分の打席の球種とコースを1打席目から全部言ってみろ」と聞いた。藤村は答えられず、前田に「それくらい覚えておかないとダメだぞ」と叱られたという。
こうした前田の姿も、宮本と重なっている。巨人・坂本勇人が宮本の元に「弟子入り」したエピソードは有名だ。敵チームの選手に教えを乞うことに異論も出たが、宮本は「それで球界全体のレベルが上がるならいいじゃない」と笑っていた。
前田について、前出の安仁屋氏はこう語っていた。
「CSに出られたことが区切りになったんだと思う」
前田は1991年、広島の最後の優勝を知る選手。本人が語っていたように、「もうとっくに終わっていた」はずの選手が、ケガと戦いながらここまでやってこられたのは、「もう一度あの喜びを味わいたい。若手にも味わわせてやりたい」という思いではなかったか。
チームがようやく低迷期を脱し、Aクラスとなった今、サムライはようやくバットを置く決意をした。
一方、CSへの出場はおろか、最下位に沈んだヤクルトを見て、宮本は引退を決意した。こちらもCSに出られていれば、状況は変わったのかもしれない。
「ヤクルトは昨年、CSで中日に敗れた悔しさがある。今年はそれを晴らすチャンスだったが、最下位に沈む体たらくだった。根本的改革が必要となった今、若手にチャンスを譲るために身を退いたのでしょう」(スポーツジャーナリスト)
ともにチームの「支柱」だった両ベテランは、同じ「CSをカギ」として、引退する決断をしたのだろうか。
※週刊ポスト2013年10月18日号