プロ野球選手の背番号には、単なる番号以上の意味や思い入れがついてまわる。永久欠番の数こそ16しかないが、引退した偉大な選手の背番号はあとを受け継ぐにふさわしい選手にと求める傾向が強い。そのため、前の選手のイメージが強すぎて引き継ぐ選手がいなかったり、球団側が選手獲得の際の切り札として取っておく思惑が働くこともある。
その「イメージ強すぎ番号」の“被害者”が広澤克実。ヤクルトでは大杉勝男の8番を背負い、移籍先の阪神では掛布雅之の31番がついた。特に阪神では、凡打するとファンから「掛布の番号が泣いとるぞ」とヤジを浴びたこともあった。
「実は最初は48番に決まってたんです。でも入団発表の当日に、球団から“31番は掛布さんのイメージが強すぎて誰もつけたがらない。広澤君がそれを中和させてほしい”といわれて急に決まったんです。そこまでいわれると仕方なくて、渋々従いました」(広澤氏)
また交渉の材料とされた代表的なケースは、最近では巨人の「18」。藤田元司、桑田真澄ら生え抜き右腕がつけたエースナンバーだが、今では外様のサウスポー・杉内俊哉が背負う。これもFAで獲得するための交渉材料だった。中には、内部から横やりが入って永久欠番が無効になることまである。
中日一筋22年間、誰もが3代目ミスター・ドラゴンズと認めた立浪和義が引退した際には、「3」を永久欠番にと望むファンの間で、署名運動が起こった。しかしそれでも球団には認められなかった。
「これには落合博満監督(当時)の発言が大きいといわれている。オーナーへのシーズン報告の場で、“3番は欠番にする必要はない。森野(将彦)につけさせます”と先手を打った(森野は辞退)。理由としては、元々立浪と落合の関係があまりよくなかったとか、落合自身が永久欠番ではないことに関するやっかみなどともいわれていますが、真相は不明です」(中日番記者)
現在、中日の「3」は、立浪と同じPL出身で2年目の吉川大幾がつけている。先輩を超える活躍ができるか注目である。
由緒ある番号を引き継ぐことは、期待の表われである反面、選手にとってはその重圧に潰されかねないという「諸刃の剣」だ。前出の広澤氏が語る。
「背番号は自分の顔ですからね。名選手の番号を継承するというのは一つのステータスとなる。ところが最近の選手は、前の選手のイメージがない番号をつけたがる。その代表がイチローの51番でした。歴史の継承というより、新しい歴史を自分で作りたい、というのが今の人たちの価値観になってきているのかもしれません」
※週刊ポスト2013年10月18日号