【著者に訊け】姫野カオルコ氏/『昭和の犬』/幻冬舎/1680円
読み手の日常を、ほとんど何の前触れもなく浸食してしまう小説が、時々ある。姫野カオルコ氏の約3年半ぶりの新作『昭和の犬』がまさにそれだ。今再びの東京五輪熱に象徴されるように、一般に昭和と言えば夢と希望にみちた古き佳き時代。人々の生活はどこか素朴な“懐カワ系グッズ”に彩られ、テレビドラマや歌謡曲や、何もかもが輝いていた、この国の青春期だ。
犬も然り。コリーにシェパード、はたまた〈ベンジーの犬〉まで、人気犬種や飼い方にも時代は映り込み、昭和33年、滋賀県〈香良市〉に生まれた〈柏木イク〉の傍らにも、いつも犬がいた。その少女期~中年期までを本書は犬や猫の姿を通して透かし見た、庶民版・昭和クロニクルといえよう。
章題には『宇宙家族ロビンソン』『鬼警部アイアンサイド』等々、懐かしい番組名が並ぶが、暢気に懐かしんでいると痛い目に遭う。これは昭和という光と共にあったはずの“傷”の物語でもあるのだから。姫野氏はこう語る。
「要するに私が好きだった歴代の犬の話を書こうとしたんです。今は集合住宅に住んでいて自分では飼えないんですが、近所の犬を観察していると、犬って飼い主に似るんですよ。散歩嫌いなラブラドールの飼い主が旅嫌いだったり、小心者が小心者の犬を連れていたり(笑い)。その人が内に抱えたものが犬に現われるのも面白い。
だとすれば自分が関わった犬の系譜をたどることで、自分の育った時代や家族のことが遠景に映し出せるかもしれないと、私と同い年の主人公の5歳から49歳までをパースペクティブに書いてみました」
嬰児の頃からわけあって親元を離れ、隣町の宣教師館で育ったイクが、〈ララミー牧場に出てくるカウボーイの家みたい〉な山小屋に馬車で連れてこられたのは5歳の時。シベリア抑留生活から終戦の10年後に帰還した父〈鼎〉と養護学校に勤める母〈優子〉はこの時初めて共に暮らし始め、本棚とオルガンがあって便所はない〈ララミーハウス〉で〈トン〉という黒い犬を飼っていた。
とはいえ〈二〇××年のような飼い方ではない〉〈朝と夕に残飯を与え、犬の名を自分の好きなものに定めて、気が向けばその名を呼ぶ。それだけで「飼っている」のである〉。
「後年になってわかることと、子供にはわかるはずもないことを、両方書くためにこんな手法をとりました。当時は近過ぎて見えなかったものが、今を視点にしてカメラを引くと〈掴める〉。遠くにあるものは掴めて、近くにあるものほど掴めない―人生なんてその繰り返しかもしれませんね」
事あれば癇癪を起こして〈割れる〉父と、結婚そのものに失望する母。そんな両親に何も言えないイクはやがて逃げるように東京の大学に進み、〈貸間〉を転々とする間にも様々な人間や犬たちと出会うのである。
【著者プロフィール】
姫野カオルコ(ひめの・かおるこ):1958年滋賀県生まれ。青山学院大学文学部卒。筆名から「よく女子ウケする恋愛小説家と間違われる」が、読者層は男女同数。1997年『受難』、2004年『ツ、イ、ラ、ク』、2006年『ハルカ・エイティ』、2010年『リアル・シンデレラ』はそれぞれ直木賞候補。164.8cm、AB型。
(構成/橋本紀子)
※週刊ポスト2013年10月18日号