環太平洋連携協定(TPP)交渉がヤマ場を迎えている。年内妥結の可能性は薄くなったが、日本では農業分野の関税撤廃について反対一辺倒だった姿勢から柔軟路線への見直しが始まった。
軌道修正のきっかけを作ったのは、自民党の西川公也TPP対策委員長だ。西川といえば、これまで徹底抗戦派の中心とみられていた人物である。それが交渉中のバリ島で、コメなど重要5品目について「関税撤廃できるかどうか検討する」と記者団に語った。菅義偉官房長官も「西川氏とすれば当然の発言」と路線転換を否定しなかった。
自民党は先の参院選で「守るべきものは守り、攻めるべきものは攻めて、国益にかなう最善の道を追求する」と公約した。場合によっては交渉脱退の道も残していた形だが、今回の軌道修正で脱退の可能性は消え、あとは条件闘争になったとみていい。
マスコミの世界では、TPPは貿易自由化をめぐる交渉ととらえられているが、実は安全保障と外交方針を背景にした交渉でもある。交渉参加国は米国をはじめ自由と民主主義、市場経済、法の支配の理念を共有している。中国もTPPに関心を寄せているが、中国はこうした理念を共有できていない。本当に参加しようとすれば、国内体制の大変革を迫られる。それは革命にも匹敵するだろう。
つまり、現状では真の民主主義国ではなく、近い将来にそうなる見通しもない中国の台頭を、だからこそ、けん制する意味合いがある。尖閣問題を抱えた日本とすれば、なおさらだ。
日本の外交・安保にとってTPPが必要不可欠であるとすれば、自民党の反対派がいくら抵抗しようと結論は見えている。農業保護を掲げても「日の丸を守れ」の声に、自民党議員が本気で抵抗できるわけがないからだ。
農業保護派の筆頭だった西川をTPP対策委員長に据えたのは、政治的に巧妙だった。反対派を説得するには、反対派自身にさせるのが一番であるからだ。仮にTPP賛成派を委員長に起用していれば、どうなったか。「おまえの言う話など論外だ」と初めから聞く耳をもたなかっただろう。
この構図は消費税引き上げに伴う法人税引き下げバトルでも同じである。自民党税制調査会の会長に増税派の旗頭である野田毅衆院議員を起用して、安倍晋三首相は野田に党内のとりまとめを委ねた。野田は最終的に会長一任をとりつけて収拾した。
西川はこれから党内と農業関係者の間でサンドバッグ状態になるだろう。だが、それが西川の役回りだ。西川としても、外野で声高に反対を叫び続けて最後に討ち死にするのと、権力による意思決定プロセスのまっただ中で条件闘争に参画するのとでは、後者のほうがいいに決まっている。
政治家とは、そういう商売だ。(文中敬称略)
文■長谷川幸洋:東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。政府の規制改革会議委員。近著に『政府はこうして国民を騙す』(講談社)
※週刊ポスト2013年10月25日号