親日国というと、みなさんはどの国を思い浮かべます? オリンピック開催を祝福してくれたトルコ? それとも、日本人の海外旅行先人気ナンバーワンにも輝いたタイ? 確かにそれらの国も親日国に違いないでしょうが、実はミャンマーも相当な親日国なのをご存知!?
近年、軍事政権から民主政権に移行し、発展著しいミャンマー。今年も、安倍首相が訪問し、ミャンマーの発展と日系企業の進出を相互扶助する会談を設けてきたのは、記憶に新しいところ。実際、ミャンマー最大の街・ヤンゴンを歩いてみると、日本のバスがいたるところにリサイクル利用され、日本人というだけでやさしく声をかけてくる人も大勢いるほど(だましてくるような輩がほとんどいないのも奇跡!!)。
そんな親日国・ミャンマーだが、浅からぬ因縁が日本とあることを知っている人は意外に少ない。第2次大戦後のビルマ(現ミャンマー)を英国から独立させ、現在も「建国の父」として国民から慕われているアウンサン将軍(スー・チーさんのお父さん)は、かつて日本に軍事訓練を受けに来ていた一人(「面田紋次」という日本名を名乗っていた時期もある)。
明治時代に、列強であったロシアと清に勝利した極東の小国には、今現在イギリス占領下にあるビルマを独立させるノウハウがある。そう考えた彼は、後に独立義勇軍を結成し日本軍とともにビルマに進軍し、イギリス軍を撤退させることに成功する。
念願が叶ったあかつきには、「ビルマを独立させる」…それが日本軍と彼らが交わしていた約束だった。しかし、あろうことか日本軍はそれを反故。親日だったアウンサン将軍が、態度を一変させ抗日になった。
日本に牙を向こうと思った矢先、日本軍はインドに居座るイギリス軍を追い詰めるべく、あの悪評高い「インパール作戦」を敢行し自滅してしまう。このインパール作戦で、日本兵は万単位の兵士が戦死。兵站を確保できずにインドに攻め込んだため、死因の8割は疫病と餓死によるもので、このとき日本軍はビルマの地で食料を確保するため略奪行為があったとも言われている。地方の民俗館などに行くと、その様子を描いている一角などもあるほどだ。
にもかかわらず、ミャンマーは世界屈指の親日国でありつづけている。なにゆえ謝罪と賠償をひたすら要求する状態にならないかと言えば、ひとえにその後ミャンマーが、徹底して反日教育を行っていないからに他ならない。
さらには、戦後、ミャンマーに対する賠償から始まった日本の経済協力が花開き、現地の人々にとって“日本はミャンマーをサポートしてくれる心強い味方”として映っているのも大きな一因だ。ミャンマーの配慮と日本の努力。因縁浅からぬ関係にも関わらず、良好な関係を築くことも可能なのである。