46年間、1万2629回にわたり続いたTBSラジオ『永六輔の誰かとどこかで』が、9月27日に最終回を迎えたが、その翌日、何事もなかったかのように、もうひとつの冠番組の生放送に臨んだ永六輔氏(80)。永氏にとってのラジオとはどういうものか──吉田豪氏(プロインタビュアー)が深掘りインタビューした。
──素朴な疑問で、永さんって昔からいろんな人と喧嘩して、すぐ番組を降りることで有名だったじゃないですか。なんでラジオは続いたんですか?
永:テレビのスタジオにいると何をしてるんだかわからない人がいっぱいいるんですよ。あれが不愉快なの。代理店とかスポンサーとか、真剣にやってる周りに用もないのにただ偉そうなヤツがいると。「彼らを全部外に出してくれ」って言うと「そうはいきません」って言われて。でも、嫌だから大抵そこで喧嘩が始まるの(笑)。スポンサーを怒鳴り散らしたり。
──うわーっ! それでやめることになるんですか?
永:うん。途中で帰ったことのほうが多いの。でも、番組中に喧嘩してやめるでしょ? そうすると、すぐ別の仕事を回してくれる連中がいるんですよ。小沢昭一、野坂昭如、五木寛之とか、中村八大、大橋巨泉、寺山修司にしても、早稲田時代から付き合いのある仲間がね。
──いい仲間たちがいたから、無茶苦茶なやめ方をしても生き残ってこれた。
永:うん、生き残った!
──テレビではそれだけ喧嘩した永さんが、ラジオでは喧嘩せずに済んで。
永:ラジオはいいアシスタントがいて、遠藤(泰子)さんや外山(惠理)君が僕が怒りそうになるとパッと間に入ってくれますから。それができないと、すぐ喧嘩になります。上手なんです、みんな。でもこないだ、NHKのアナウンサーが、この人とは仕事をしたくないっていう表があって、そこには永六輔があったの。とても付き合えないって。
──ダハハハハ! 言われるのには思い当たる節があるわけですね(笑)。
永:あるの。田辺靖雄がいま日本歌手協会の代表理事をやってるけど、彼と昔話を久しぶりにして、よくディレクターやカメラマンに殴られたっていう話を田辺がしたんだけど、僕は殴ったほうだったから。
──殴ってたんですか!
永:怒鳴り散らす喧嘩の声の中で、殴ったり殴られたりっていう修羅場だったの、スタジオが。それが普通だった。
──じゃあ永さんが殴られることもあったんですか?
永:カメラマンに喧嘩で殴られたりしてた。殺気立ってる、生放送でしょ?
──それはスタジオによけいな人間がいたら追い出したくなりますよね。
永:殴ったり殴られたりしたっていうのは、みんな一生懸命だったからですよ。で、いまラジオをやってて感謝してるんだけど、ホントに居心地のいい環境にしてもらってて。
──『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』は永さんがスタジオにいて、たまに楽しそうに笑ってるだけで十分ですからね(笑)。
永:ハハハハ! そうなんだよね。「あなたは笑っていればそれでいいんです」って誰かに言われたな。でも『誰かとどこかで』はこれだけ長く続いてきて、遠藤さんは46年、最初からパートナーですから。
46年、入院しても病室から放送して一日も休んだことがなかったの。それが今回、お休みになったけど、2人の対話をラジオだけで終わらせたくなくて。ラジオで話せない話っていっぱいあるの。そういう話を、遠藤さんとライブハウスとか小さな劇場とかでやっていこうと思ってて。
──しかも、番組宛のハガキはこれからも受けつけるんですよね。
永:はい。そしたら、いままで以上に来てるらしくて。これからどういうふうに変わっていくかわからないけど、いままでのラジオとは違うかたちのラジオに遠藤泰子さんと一緒に戻れればいいなと思ってるの。
──楽しみにしてます!
■永六輔(えい・ろくすけ)1933年、東京・浅草出身。中学時代にNHKラジオ『日曜娯楽版』へ投稿を開始。早稲田大学在学中より本格的に放送の世界に関わる。以後、放送番組の作家、作詞家、語り手、歌手、文筆家として幅広く活躍。2010年、パーキンソン病と前立腺がんであることを公表し、治療とリハビリを続けながら現在も活動を続けている。
※週刊ポスト2013年10月25日号