10月15日は中国の最高指導者、習近平国家主席の父、習仲勲元副首相の生誕100周年。習氏の故郷の陝西省や北京、上海などでは盛大に記念祝賀行事が行なわれた。なかでも注目を集めたのは、習主席の弟の習遠平氏が久々に公の場に姿を現したこと。顔の表情や突き出したお腹など習主席とそっくりの風貌だ。
習遠平氏は1956年11月生まれ。兄とは3歳違いの56歳。文化大革命(1966~1976年)で父の習仲勲氏が反革命分として批判されたことで、中学1年生のときに地方に下放されたり、北京の工場で労働者として働くなど、地方で7年間苦労を強いられた兄の習近平氏同様辛酸をなめた。
しかし、文革終了後、父が名誉回復されると、穏やかな生活が戻り、人民解放軍傘下の洛陽外国語学院を卒業後、貿易会社に入り、ビジネスの道に進んだ。その後、他の太子党(高級幹部子弟)メンバー同様、独立して不動産会社を起こして、習仲勲氏らのさまざまな人脈を駆使して、幅広いビジネス展開を行ない、財をなしたといわれる。
一時、香港に住んでいたといわれるが、その後、オーストラリア国籍を取得し、現在は同国に居住。中国では国際環境保護節約協会という団体の会長を務めているが、同協会は活動の実態が乏しく、あくまでも名誉職的な立場とみられる。
中国では習遠平氏の消息はめったに聞かれない。主に、習仲勲氏の命日に故郷の陝西省富平県で、母の斉心さんや姉らと墓参りしたとの消息が伝えられるくらいだ。今回のように、生誕100周年記念に出席したり、中国青年報に投稿して、「父親は私たちに、人民に寄り添い、苦楽をともにするよう命じていた」と述べるとともに「先代の革命家の輝かしい功績を継承し、中華民族の偉大な復興を成し遂げよう」と強調するなど、極めて異例中の異例の行動といえる。
一方、兄の習近平氏も15日に北京で開かれた習仲勲同志生誕100周年座談会に出席。習氏は他の参加者と共に、習仲勲氏が共産革命の草創期から革命の闘志として働いて共産党政権樹立に大きな貢献をしたことや、その後も副首相として新国家建設に邁進、さらにトウ小平氏の下で、全国に先駆けて、初めて広東省に経済特区を創設し、改革・開放路線を成功させる原動力になったことなど、習仲勲の功績を称えた。
また、座談会には、トウ小平氏や劉少奇元国家主席の子弟ら習氏と同じ太子党メンバーが多数顔をそろえ、さながら太子党の全国総会という趣を見せていた。
これら一連の慶祝行事や習遠平氏の公の場への登場などについて、『習近平の正体』(小学館刊)の著書もあるジャーナリストの相馬勝氏はこう解説する。
「習近平・国家主席は現在、11月の党中央委員会総会で討議される経済改革問題や、大詰めを迎えている腐敗幹部の撲滅キャンペーン、あるいは環境汚染や不動産バブルなどの経済問題、日中間の尖閣問題など難問が山積しており、まさに内憂外患状態だ。
この難局に当たって、父親の習仲勲の生誕100周年や、12月末の毛沢東逝去100周年などを利用できるものは何でも利用して、習近平指導部の権力基盤固めを図りたいところだろう」