プロ野球界において、各チームに必ず存在するのが、全国を回って有力選手を探しだすスカウトたち。名スカウトとして有名だった元阪急の丸尾千年次について、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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松井裕樹(桐光学園)は、森友哉(大阪桐蔭)は、どの球団に指名されるのか。24日のドラフト会議で彼らの運命が決まる。かつてパ・リーグ広報部長だった伊東一雄が読み上げていた、「第一回選択希望選手、読売……」という声を、神の声にも似た心境で聞く人も多かった。
そんなドラフト制度ができる前から、名スカウトとして有名だったのが丸尾千年次だ。阪急では投手として7勝9敗。引退後、1950年にスカウトに転向し、米田哲也や山田久志らを発掘、江川卓の交渉も担当した。
「高校野球がまだ木製バットの時代には、甲子園大会中、居眠りをしていても、芯を捉えた音はすぐにわかった。金属バットになって芯がなくなったから、いい打者かどうか、音で判断できなくなった」
丸尾はこうこぼしていたが、酔うと「俺はどうせ人買い稼業だよ」と、自嘲気味に語っていたのを思い出す。
重たそうなバッグには、当時のスカウトの「8つ道具」が入っていた。カメラ、録音テープ、スコアブックにメモ帳、赤黒2色のボールペンには必ず替え芯が2本。全国各地を回るための時刻表に、日本のどこでも金を下ろせる郵便局の通帳に加えて、正露丸。今では考えられないような手作業で、選手の発掘のため、全国に足を運んでいた。
酒を飲みながら、軽い口調で人との接し方の一端を話してくれた。それは、一般の社会人にも役立つことだった。
「初めての家を訪問する時には約束の1時間前に到着し、家の周りをぐるりと回ると、家主の趣味が分かる。それをきっかけに話に入れば、どんな口の堅い人でも場は和むものだよ」
「初対面の人に会いに行くときには必ず手土産を下げていけ。駅の売店で買ってはダメ。地元の名産品がいい。手短に済ませたと思われたくないからね」
有望選手の名前は、絶対に自分の口からは教えてくれなかった。ただトイレに立った時、普通は裏返しにして置くリストが、無造作に表のまま置かれていたことがあった。「見るのは勝手」という意志表示、しっかりと瞼に焼き付けた。そんな粋なことができる人だった。
古き良き曖昧な文化の中に生きた、職人がそこにいた。
※週刊ポスト2013年11月1日号