新日本プロレスの業績が好調であることや、文化系プロレスのDDTプロレスリング、イケメンぞろいのDRAGON GATEなど、かつて格闘技ブームに押され縮小していたプロレスにも、若いレスラー目当ての若い観客が集まり明るい話題が増えている。一方で1994年には東京ドームで対抗戦を行うほどの注目を集めた女子プロレスでは、かつて写真集を出した井上貴子や豊田真奈美など、往年の人気選手が今もメインイベントで活躍している。
1980年代中盤から後半にデビューした女子レスラーは、「体格も、運動能力も、人をひきつける話術もすべてが怪物のような存在」だと『1976年のアントニオ猪木』や『1993年の女子プロレス』著者で作家の柳澤健さんはいう。
「長与千種とライオネス飛鳥のクラッシュギャルズに憧れる十代の女の子が全日本女子プロレスのオーディションに殺到し、1985年は応募総数が4000人、オーディションには2000人が集まりました。そこを勝ち抜いたアジャ・コングなどの世代は、超エリート集団なんです。確かに、かつてと比べればおばさんになっていますが、レスラーとして優れている彼女たちには若手と並んでも劣らぬ魅力があります」(柳澤さん)
10月17日のセンダイガールズ後楽園大会では、『超世代闘争 新星vs重鎮』として17歳から25歳の若手8人が、52歳のダンプ松本などベテラン選手8人を相手に勝ち抜き戦がおこなわれた。試合は20歳の世IV虎(よしこ)が32歳の里村明衣子をくだして若手チームが勝利をおさめたが、その日、観客の印象にもっとも強く残ったのは、シースルーの上着にホットパンツから美しい脚がのびた43歳の井上貴子だろう。
「ヨガの先生をしているからか、井上貴子は同世代の他のレスラーと比べて自分の体をつくることへの意識が高く、摂生していますね。年をとってもエロいという美熟女路線でいくのでしょう。たぶん、若かった頃よりも体重は10キロ以上落としていると思います。当時は、体を太くしないと耐えられない激しいプロレスが女子の標準でしたが、今は違いますから貴子のような普通にカッコいい体でも大丈夫になりました」(前出・柳澤さん)
アスリートとして能力が高く、体格もよい女の子たちが多く集まりデビューした1980年代後半からの女子プロレスは、1990年代になると過激化の一途をたどった。男子プロレスでも見られないような危険な技の数々に、男性のプロレスファンが引きつけられ会場につめかけた。その一方で、それまで女子プロレスのメイン支持層だった若い女性客の足が遠のいた。
「1990年代は特殊な時代でした。長与千種にあこがれた女の子たちがプロレスラーになり人気を得ますが、かつてのように地上波のゴールデンタイムで放送される存在にはなれませんでした。それでも1994年には東京ドーム大会も開きましたが、チコさん(※長与千種)のようにお客さんが呼べないと悩んだ女子レスラーたちは、危険で過激なとんでもないプロレスを追い求めます。その結果、ケガが多くなり、ついには亡くなった人もいました。
当時を反省して、今は危険な技を次々と繰り出すようなプロレスはしなくなりました。試合数も減っています。25歳定年制があった女子プロレスですが、今のようなスタイルならば、40代の人たちもあと10年は続けられるのではないでしょうか」(前出・柳澤さん)
新しいフェーズに入った女子プロレスは、プロレス版AKBといってよいスターダムのようなアイドル路線、金縛りの術が得意技の覆面レスラー、救世忍者乱丸や旧姓・広田さくらなどのお笑い路線に大別されるという。だからといって、往時に比べて見応えが無くなっているわけではない。
「体操選手のようにくるくると素早い動きで競う若手選手に、ベテラン選手が怪獣のように立ちはだかります。お笑い路線もかなりハイレベルで特に旧姓・広田さくらは天才です。世にもバカバカしいプロレスですが、女子プロレスの最終進化形です」(前出・柳澤さん)
もうすぐ25周年記念イベントを行う井上貴子に代表されるような美熟女と、若手アイドルにお笑いと、バラエティ豊かな楽しみ方ができるのが、今の女子プロレスの形らしい。