ドラフト会議でスカウトが注目を集めたのは、初めてかもしれない。プロ野球のドラフト会議が10月24日、東京都内のホテルで行われた。大学No.1の呼び声高い大瀬良大地投手(九州共立大)は、ヤクルト、広島、阪神の3球団が指名。ヤクルトと阪神は監督がクジに挑むなか、田村恵・九州担当スカウト(37)を送り出した広島が見事に交渉権を獲得した。
1990年代の広島ファンにとっては懐かしい名前だが、そうでない人にとってはあまり知名度の高くない、田村スカウトとはどんな人物なのだろうか。
1994年に樟南高校(旧・鹿児島商工高校)の捕手として夏の甲子園に出場。全5試合で742球を投げ抜いた福岡真一郎投手をリードし、準優勝。打っても、20打数8安打で5打点とチームを引っ張り、一躍甲子園のヒーローとなった。
その秋、広島がドラフト6位で指名し、契約金3000万円、年俸400万円で入団した。高校時代の盗塁阻止率が8割5分(60回中50回阻止)という強肩で、メガネをかけていたため、「古田2世」の呼び声もあったほどだ。
1995年版の『プロ野球選手写真名鑑』(日刊スポーツグラフ増刊)によれば、好きなタイプは当時ともに40代後半だった「大原麗子、篠ひろ子」と、およそ高卒ルーキーらしくない回答をしている。これは4年間変わらず、当時の田村は年上女性好きだったようだ。
だが、1999年版の選手名鑑になると、突如として「桜井幸子」と好みが変化。前年に桜井はNHK連続テレビ小説『天うらら』に出演しており、当時一軍と二軍を行ったり来たりしていた田村氏は、早起きを強いられるファーム生活時に、『天うらら』にハマったのかもしれない。
選手としては、1年目は二軍では57試合に出場。そのうち43試合にマスクを被り、高卒のルーキー捕手としては悪くないスタートを切った。
4年目に一軍初出場を果たし、28試合マスクを被り、4年間据え置きだった年俸が100万円アップの500万円に。5、6年目も控え捕手として一軍に帯同することもあったが、当時の広島は西山秀二、瀬戸輝信という捕手の2枚看板が存在し、その後は出場機会には恵まれなかった。
一軍通算で62試合に出場し、86打数12安打、8年目の2002年オフに26歳の若さでユニフォームを脱いだ。
引退後は、広島のスコアラーを経てスカウトに転身し、地元・鹿児島駐在の九州地区担当スカウトに。今村猛、安部友裕、中崎翔太、戸田隆矢らを担当した。そして今年、ドラフト会議で大瀬良の交渉権を獲得した。
クジ引き直後は、震えながら「頭が真っ白で……」と声を詰まらせた。高校時代に甲子園を沸かせたキャッチャーが、再び輝いた瞬間であった。