「32年、大変お世話になりました」──。日本の「お昼の顔」は、いつも通りの淡々とした口調で、その終わりを告げた。来年3月で『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が終了することは、日本文化史の大きな転換点となる。ベストセラー『タモリ論』(新潮新書)の著者で作家の樋口毅宏氏が、『いいとも!』の時代に弔辞を送る。
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その日、僕はいつものように昼の12時ごろ、テレビをつけ『いいとも!』のオープニングを見ていました。
しかし、今年の7月以降、『いいとも!』ではタモリの出演時間が大幅に減り、番組の最初と最後、そして名物コーナーの「テレフォンショッキング」にしか出ないことが多いのです。
「あぁ、今日もタモさん、引っ込んじゃった」
そうして僕はテレビを消し、二度寝をしてしまいました。あれは2時ごろでしょうか。起きると、携帯に「いいともが!」とだけ書かれた編集者からのメールが届いていました。僕が寝ている間に、世界は終わっていたのです。ついにこの日が来たのか。それが最初の感想でした。
『タモリ論』の出版と前後して、『いいとも!』にタモリのいないコーナーが増えたときから、すでに覚悟はできていました。
後ほど、番組終了が伝えられたエンディングの映像を見てみました。『いいとも!』の木曜レギュラーで、本来ならこの日(火曜)には出演予定のないはずの笑福亭鶴瓶が、緊急ゲストとして呼ばれました。おそらく、1987年から続く最古参のレギュラーとして、その大役を任されたのでしょう。
「おれ聞いたんやけど、『いいとも!』終わるってほんま?」
鶴瓶がそう切り出すと、タモリは「来年の3月で終わる」と断言し、「ついては出演者のみなさんには大変お世話になりました。国民のみなさんにも、ほんとどっち向いても感謝です。ありがとうございます」と頭を下げました。
それを見ながら、「あぁ、これは僕にとっては玉音放送ほどのインパクトがある」と思いました。
終戦直後の1945年8月22日に生まれたタモリは、戦後の日本文化そのものといえるテレビの「中心」であり続けてきました。テレビに映るものをみんながほしがり、テレビに映る人々にみんなが憧れた、「テレビの時代」の最後の遺産が、『いいとも!』だったからです。
毎日数百万人が視聴する生放送の司会を、タモリは30年以上にわたって続けてきました。まともな人ならとっくにノイローゼになっているはずですが、彼は自分にも他人にも何一つ期待してないから、平然とそれを受け入れてきた。
まさに彼は、「テレビの象徴」であることを引き受けた存在でした。彼が身に纏う絶望や孤独は、象徴であることを受け入れた代償なんです。
そのタモリがいま、象徴の座から降りようとしている。これは大げさでなく、終戦以来となる、日本の歴史的転換点です。10月22日の『いいとも!』は、テレビの象徴が自らその時代にピリオドを打つための「玉音放送」だったんです。
※週刊ポスト2013年11月8・15日号