<映画俳優の喫煙シーンがきっかけでタバコ依存症などになった人が多いので、喫煙シーンをなくすことで当事者だけでなく観客もタバコの害から守ること>
これは、NPO法人日本禁煙学会が独自に選考・表彰している「無煙映画大賞」なる賞の目的として挙げられている一文である。2012年は『しあわせのパン』が無煙映画大賞作品賞に選ばれる一方、“汚れた灰皿賞”として『ALWAYS三丁目の夕日64』や『苦役列車』、『愛と誠』などが<喫煙シーンが多い>との理由から不名誉な受賞となった。いずれも文化・芸術性で誉れ高い作品ばかりだ。
同学会は今年、最高傑作映画の呼び声が高いアニメ『風立ちぬ』の喫煙シーンにも苦言を呈して賛否両論を巻き起こしたことは記憶に新しい。最近ではこうした過剰ともいえる“たばこバッシング”に制作者サイドが配慮し、時代背景や世相も映す小道具としてさえ、たばこが使いにくくなっているという。
だが、「僕の作品でたばこを吸うシーンを削ってくれなんて注文されたら、その台本は取り下げますよ」と憤慨するのは、『北の国から』や『前略おふくろ様』など数々のヒットドラマを手掛けてきた脚本家の倉本聰氏。自身も愛煙家で、たばこは「3本目の腕、2個目の脳」と公言する倉本氏が、禁煙ファシズムの風潮を痛烈に批判する。
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――近ごろ、映画やテレビなどの制作者から「喫煙シーンが扱いづらい」との声をよく聞きます。
倉本:確かにテレビドラマの世界でも、たばこを吸うシーンは嫌われ、検閲のように削除されてしまうことがありますが、ちょっと理解に苦しみます。画面から煙が出るわけじゃありませんしね(笑い)。これまでの名画もたばこという小道具がなかったら生まれていなかったでしょう。たばこを吸わないハンフリー・ボガートなんて考えられないでしょ。
――喫煙シーンは作品にどんな効果を生むのでしょうか。
倉本:もちろん時代背景は大きい。昭和の時代には男性の80%がたばこを日常的に吸っていたのだから、大人同士が会話するシーンではたばこは欠かせません。「今日も元気だ、たばこがうまい」というコマーシャルがあったように、時代を映す鏡でもあるのです。
また、たばこは「間」を持たせる意味で非常に有効な社交道具ですし、喫煙というワンアクションが存在することで登場人物の意外な一面を見せたり、いろんな愛を表現できたりもします。もし、それがなかったらドラマ自体が味気ないものになってしまう。
――倉本さん自身も1日60本~80本吸う愛煙家だそうですね。
倉本:はい。僕にとってたばこはゆとりというか、心の豊かさを与えてくれる必需品。作品を書くのに欠かせないものですし、仕事の打ち合わせや会議でたばこを吸わないで皆が向き合ってじっとしている時間が耐えられない。それでも“百害あって一利なし”と理解してもらえないなら、筆を折るしかないですね(笑い)
――新富良野プリンスホテルには、倉本さんがプロデュースした愛煙家が集う「Soh’s BAR」があります。
倉本:あまりにも愛煙家が差別されているので腹が立ってプロデュースしたんです。いま、分煙制のレストランに行っても、だいたい良い席は禁煙で悪い席は喫煙。あの差別は何なのかと思いますよね。
だから、Soh’s BARも最初は店内をスモーカーズオンリーにして、外は氷でイスを作って禁煙席にしようと考えていたくらい。もちろん冗談ですけどね(笑い)。「たばこの煙が気になる人は来ないでください」とは、はっきり言いますよ。
僕はなにも分煙制度に反対しているわけではありません。たばこが嫌いな人がいたら場所を変えますし、他人に迷惑をかけるつもりはまったくない。でも、両者が心地よい空間を共有できるのが分煙の本来の目的でしょ。それが愛煙家だけあまりにも逆賊的な扱いを受けている風潮が許せないのです。
――WHO(世界保健機関)がPM2.5(微小粒子物質)に発がん性があると認定するなど、肺がんの原因はたばこだけではないというデータも続々と出ています。
倉本:事実、僕だって50年以上たばこを吸い続けてピンピンしておりますから(笑い)。車の排気ガスなど大気汚染はもっと健康に悪いはずなのに、それを逸らすためにたばこだけが悪者にされている。車が排気ガスをばらまくのは許して、人が路上でたばこを吸うのを禁じる。ならば、なぜ車は通すのでしょうか。理屈に合いませんよね。
――たばこをやめたがゆえにストレスを溜め、免疫力を下げて健康を害する人もいます。
倉本:僕もそうですが、たばこは気持ちをリラックスさせて仕事に集中できる。健康は生きるための単なる手段であって、健康が目的となっている健康ブームはおかしいと思います。
「酒もたばこも女もやめて百まで生きたバカがいる」という都々逸(どどいつ)がありますが、僕にしてみたら「酒とたばこと女をやめて五十で死んだらもっとバカ」ですね(笑い)