【著者に訊け】笹本稜平氏/『遺産The Legacy』/小学館/1995円
冒険小説の質量は「タテ×ヨコ×深さ」の計算式で決まると、このほど海洋冒険大作『遺産』を上梓した笹本稜平氏(62)は言う。
「太平洋なら太平洋という地理的なスケールだけだと意外と薄っぺらで、本書で言えばその冒険にまつわる経済事情と、それら現在的価値を下支えする歴史的深みをかけた立方体の容積が、物語の充実度を左右する。つまり金銭的裏付けもなしに身勝手な男のロマンを語る冒険野郎だけは、書きたくなかったんです(笑い)」
本作で主人公〈興田真佐人〉らが追うのは、太平洋のど真ん中に眠る〈アンヘル・デ・アレグリア〉号。1620年にマニラ~アカプルコを航行中、悪天候で難破したこのスペインのガレオン船で航海士を務めた人物こそが、元平戸藩の下級武士の五男〈興田正五郎〉である。金銀財宝を含む積荷の総額は何と10億ドル! 真佐人にとってそれは一生を海に生きた祖先と400年の時を隔てて再会する、自らの〈血〉を巡る旅でもあった。
笹本氏と言えば『天空への回廊』や『還るべき場所』など、山のイメージもある。海と山──実際はどちらに惹かれるのか、聞いてみた。
「山は山で昔はよく登りましたし、海運関係の仕事をしていた頃は海に母性を感じたりして、今も強い思い入れがあります。海も山も荒れないと小説にならないところがあって、そんな優しさと怖さの両面性に惹かれるんです」
水中考古学という学問がある。真佐人はかつて東都大学の〈田野倉教授〉や、セビリア大学の世界的権威に師事し、各国の発掘現場を渡り歩いてきた一匹狼。現在もカリブ海の大型客船でダイビング講師を務めながら、正五郎とともに沈んだ船の発掘を夢見る彼は、あるときダイビング教室の客だったスペイン人実業家〈アントニオ・バルデス〉から支援を申し出される。アレグリア号を故国の歴史遺産として展示する一大観光施設を建設したいというアントニオは、ビジネスと学問の〈最良の結婚〉を標榜する理想のスポンサーだ。
そんな折、田野倉教授から海上保安庁の測量船が南鳥島沖に同船の遭難地点と思しき〈海山〉を発見したと連絡が入り、真佐人は田野倉や大学の同期生〈片岡亜季〉とチームを組み、悲願の発掘へと動き出す。
「学者の世界ではとにかく丸ごと保存が原則らしいんですけどね。ただし引き揚げだけで数十億という費用を調達できないまま放置されるケースも少なくなく、その船の横腹に穴を開けてお宝だけ奪う悪質なトレジャーハンターもいるらしい。
ただ、文化遺産を眠らせたままでいいのかという彼らの言い分も決して間違いとは言えず、ヘッジファンドと組み投機目的の事業として発掘を手がける人々と、夢や学問のために船を追う真佐人たちの、これはビジネスモデルや信念をかけた闘いの物語でもあります」
●笹本稜平(ささもと・りょうへい):1951年千葉県生まれ。立教大学社会学部社会学科卒。出版社勤務を経て海運分野を中心にフリーで活躍。2001年『時の 』でサントリーミステリー大賞と読者賞。2004年『太平洋の薔薇』で大藪春彦賞。『天空への回廊』『越境捜査』等、冒険小説や警察小説で人気。今春、映画『春を背負って』のロケ見学で立山へ。「室堂まで歩いたらもうバテバテ。一回り上の木村大作監督(『劍岳 点の記』)が平気なのに情けない」。165cm、55kg、B型。
※週刊ポスト2013年11月8・15日号