二〇二〇年東京五輪に向けて、危機管理への意識が高まっている。それは、無関心だった原発テロへの懸念と共に切実な問題として浮かび上がっている。だが、かつて東京は世界で最も爆破テロの危機に晒され、それと敢然と闘った都市でもあった。その知られざる闘いの内幕を『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館刊)で門田隆将氏(ノンフィクション作家)が追った。
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(【狼の牙を折れ】三菱重工爆破事件の内幕実名証言【1/6】のつづき)
ドーーーン…… それは、天と地が同時に破裂したかのような音だった。とてつもない轟音と共に、猛烈な爆風が、ビルの谷間を駆け抜けた。
昭和四十九年八月三十日午後〇時四十五分。丸の内のオフィス街が短い昼休みを間もなく終えようとする時だった。爆発と同時に上がった白煙が丸の内仲通りに充満して、もくもくと立ちのぼっていく。
目を凝らすと白煙の中には、血みどろで吹き飛ばされた人間、片手と片脚がもぎとられた裸の死体、口から血を噴き出した者、頭から肩、背中にかけて血のりをべっとりつけてうずくまる人たちがいる。
さらにその遺体や、身動きもできない重傷者の上に、砕けた窓ガラスの破片が容赦なく襲いかかった。まさに地獄の光景だった。
「なんだ……この音は」
遠くから聞こえたその音が、警視庁公安部公安第一課長の小黒隆嗣(四七)には、パーンという花火の音のように聞こえた。
公安第一課長室は、警視庁庁舎の四階にあり、桜田通りに面している。小黒は、明治生命ビルの向こう側から、白い煙がもくもくと上がっているのに気がついた。遠くに見えるその白い煙が、自分をこれから歴史に残る大捜査の只中に放り込むことになるなど、小黒はこの時、想像もしていない。
「至急、至急! 丸の内××号。爆発物が爆発した模様である」
受信機を通じて、パトカー無線の声が聞こえてきた瞬間、小黒は部屋を飛び出していた。背広を手で掴むと一目散に階段を駆け下り、桜田門から炎天下の内堀通りを走った。
通りは祝田橋から先は晴海通りだ。日比谷公園の横を通って日比谷交差点を走って渡ると、すぐに丸の内仲通りの角だ。小黒は仲通りを左折した。
「あっ」
目の前に広がった光景は、あまりに鮮烈なものだった。大粒のダイヤモンドがぶちまけられ、道路の表面が、あたかも“宝石”で埋め尽くされたかのようになっていたのだ。ガラスの破片である。小黒は、その“海”に足を踏み入れた。
「通りはズーッとそのガラスで埋まっている感じでした。不思議なもので、雪の上を歩いても雪の深さまでは、靴が沈まないのと同じで、ザクッザクッというだけで、深くは埋まらなかった。だから、靴の中にそれらが入るということはなかったですね。現場についた時、警視庁の自分の部屋を飛び出してから、十分ぐらいは経っていたと思います」
爆破事件から三十九年が経過し、小黒は今、八十五歳である。
「到着した時は、遺体は救急車で運びつつあるものもあれば、パトカーで運んでいったものもあるという状態でした。通りがかりの方が見るに見かねて、車に乗せて救急車の後を追いかけていく、というようなこともあったようです。三菱重工の前は、どうも爆発そのものがすっ飛ばしたようで、比較的ガラスの(海の)隙間になっておりました」(つづく)
◆門田隆将(かどた・りゅうしょう)/1958(昭和33)年、高知県生まれ。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『太平洋戦争 最後の証言』(第一部~第三部・小学館)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)がある。
※週刊ポスト2013年11月8・15日号