70歳になってから中日ドラゴンズの監督になり辞任するまでの2年で、高木守道・前監督は選手やコーチと激しい口論を繰り返す姿が強く印象付けられた。現役・監督時代を通して激情家で知られ、通算7度、当時の最多退場記録を持つ金田正一氏が聞き手となり、野球のためには怒りを爆発させ、みずから「暴走老人」と称したこともある高木氏に胸の内をきいた。
──井端(弘和)とは衝突した(※注)らしいな。
高木:あの時はミスを私が怒ったところ、それが気に食わなかったらしく、彼がベンチの裏にスッと消えたんです。それで「なんだその態度は」と私が追いかけて行った。それをたまたまテレビカメラが捉えていたんです。井端はずっと私の野球に理解を示してくれていましたし、もちろん尾は引いていませんよ。
──権藤(博)コーチとの確執も話題になっていたな。
高木:そもそもコーチにはOBを起用したいという球団の意向がありました。だから投手コーチには権藤さんしかいないと私が指名したんですが、ハッキリいって性格的に私と合わないのはわかっていました。しかし、勝つためにはと割り切ってお願いしたんです。
問題になったのは、勝利への考え方の違いです。彼は「どこに勝とうが1勝は1勝」というが、私はやはり巨人に勝たなければ意味がないと考えていた。だから主力は巨人戦に使いたかったが、権藤さんは「そんなことをしたら勝てない」といって、そこで食い違ったんです。特に東京ドームと神宮では弱くて、ファンからヤジられっぱなしでしたから。そうやって悪い流れになると、マスコミにも色々書かれますしね。
【※注】2013年5月14日、守備の中継プレーを巡って高木監督と井端の意見が食い違い、激しい口論になった様子がテレビに大写しになった。
※週刊ポスト2013年11月8・15日号