全米各地で韓国系アメリカ人が展開している慰安婦碑設置運動にカリフォルニア州ブエナパーク市議会は碑の設置を却下した。この決定には、元米海兵隊軍曹のロバート・ワダ朝鮮戦争従軍日系退役軍人会会長の書簡が与えた影響が大きかったという。だが、皮肉なことに設置運動に積極的な人物も日系人であるとジャーナリストの高濱賛氏がリポートする。
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皮肉なことだが、この韓国系の「従軍慰安婦」碑設置運動を左右しているのは、二人の日系アメリカ人だ。一人は、「全米各地に次々に設置せよ」と檄を飛ばすマイケル・ホンダ下院議員(カリフォルニア州第17区、民主党=72)。もう一人は元米海兵隊軍曹のロバート・ワダ朝鮮戦争従軍日系退役軍人会会長(83)だ。
ホンダ議員の祖父母は、熊本県出身の移民。ホンダ氏自身は戦時中にコロラド州のアマチ収容所で1歳から5歳までの幼年期を過ごした。一方のワダ氏の両親は広島県出身。ワダ氏は12歳の時に両親、兄姉8人と一緒にアリゾナ州のポストン収容所に入れられた。 ともに強制収容所の中で日本を憎んで育った。
白人から「敵性国民」扱いされた日系人たちは「日本」と距離を置くことでアメリカへの忠誠心を示そうとした。収容所から軍隊に入隊する「ゴー・フォア・ブローク(当たって砕けろ)」(欧州戦線で戦った日系442連隊戦闘部隊を指す)の若者たちもいた。
日系人の対日観は環境、とくに両親の対日観に大きく左右されてきたと言われる。
すでに物心ついた時期に収容所生活を送っていたワダ氏は、1950年に朝鮮戦争が勃発するや、迷うことなく米海兵隊に志願し、1950年から1952年まで第一海兵師団第一戦車大隊軍曹として朝鮮戦争に従軍した。
出征の前夜、息子二人を欧州戦線で失っている母親は「最善を尽くしてお国のために戦ってきなさい」と励ましたという。日本流に言えば、まさに「武運長久を祈る」だった。ワダ氏は幼稚園から高校まで一緒だったメキシコ系の親友を戦場で失った。
一方、ホンダ氏は軍隊とも戦争とも縁はない。大学時代、平和部隊に入隊し、2年間エルサルバドルで過ごす。大学を出ると教職に進み、その後高校の校長を務めた。1996年、カリフォルニア州下院議会議員に選出。2001年には連邦下院選に立候補し、当選。州下院時代から旧日本軍の戦争犯罪を追及し続けている。今や「アジア系連邦議員の実力者」だ。オバマ第二期政権では教育長官候補にも挙がった。
「日系アメリカ人(とくに二世)は日本民族の血を受け継いでいるからといって、必ずしも親日とは限らない。民族的に日本人であるがゆえに戦前、戦中、戦後と白人に苛め抜かれた。日本の肩を持っても実生活ではなんの益もないことを嫌と言うほど思い知らされてきた。日本に特別な思いを持つ要因はこの戦争体験にある」(ディクソン・ヤギ神学博士、米南部バプテスト教会退任牧師)
7月30日、グレンデールで行なわれた「従軍慰安婦」像の除幕式にホンダ氏は欠席したが、ビデオでメッセージを送り、「全米各地にこの慰安婦像を設置しようではないか」と“激励”している。
ブエナパーク市ではワダ氏らによって阻止されたものの、これでアメリカの流れが変わったとは言えない。韓国ロビー団体やホンダ氏は今後も慰安婦碑の設置に積極的に動くだろう。
ホンダ氏の反日スタンスには選挙区事情が大きく絡んでいる。選挙区には中国系、韓国系が多くおり、そのカネと票が必要だ。そのため、日本政府や企業による中国人強制労働、南京大虐殺、従軍慰安婦に対する謝罪・補償要求へと突き進む。2007年には対日謝罪・補償を求めた「H.R.121」決議案を下院に提出し、可決させた。同決議が韓国系の「従軍慰安婦」碑設置運動の「錦の御旗」になっている。
「彼は確信犯的反日主義者。いわば水道の蛇口で、彼をなんとかしなければ、慰安婦像設置は阻止できない」(設置阻止運動を続けている在米邦人の一人、今森貞夫氏)とさえ言われる。 ワダ氏にホンダ氏との違いを聞くと、こう言い放った。
「あの男は政治家。私は一介の市民。それに私は共和党だ。民主党は嫌いだ。彼の言っていること、やってきたことはすべて嫌いだし、反対だね」
●高濱賛(たかはま たとう)1941年東京生まれ。米カリフォルニア大学バークリー校卒。読売新聞社でワシントン特派員、調査研究本部主任研究員(日米関係、安全保障)などを歴任。1999年より米・パシフィック・リサーチ・インスティチュート所長。国際政治関連を中心に執筆活動を行っている。
※SAPIO2013年11月号