二〇二〇年東京五輪に向けて、危機管理への意識が高まっている。それは、無関心だった原発テロへの懸念と共に切実な問題として浮かび上がっている。だが、かつて東京は世界で最も爆破テロの危機に晒され、それと敢然と闘った都市でもあった。その知られざる闘いの内幕を『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館刊)で門田隆将氏(ノンフィクション作家)が追った。
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(【狼の牙を折れ】三菱重工爆破事件の内幕実名証言【3/6】のつづき)
人間には、「運」、あるいは「ツキ」と呼ばれるものがある。この捜査での古川原巡査部長には、まさにその「運」と「ツキ」があったに違いない。それは、「引き」と言っていいかもしれない。なぜか古川原がいる時に、さまざまなことが起こった。
佐々木と片岡利明の行動確認(尾行)がつづいていた二月十一日、またしても古川原の「引き」が幸運を呼び込んだ。
建国記念日のこの日、朝からしんしんとする真冬の冷気の中で、古川原は中十条二丁目の拠点から佐々木がいる美島荘を監視していた。
昼十二時半頃、突然、佐々木が美島荘を出て、いつもの通勤経路と逆の左に向かった。
佐々木はしばらく歩いて道に出ると、そこにある小さな細長い公園で所在なげに佇んでいた。遊具もなく、ただの空き地と言ってもおかしくない公園だ。
(佐々木は、誰かを待っている……)
古川原は、かなり離れたところからようすを見ているしかなかった。緊張が段々と高まってくる。その時、一台の車が近づいてきた。
ごく普通のセダンだ。すーっと近づいてきた車に、佐々木が気がついた。そして公園の横で停まった。
車から長身の男が降りて、佐々木と言葉を交わし始めた。そのあと佐々木は車に乗り込んだ。
古川原は車のところに走ってナンバーを確かめたい衝動に駆られた。これが押えられなければ、いま接触している人間を割り出すことはできないのだ。
ここで、咄嗟に古川原がとった行動は、驚くべきものだった。古川原は、服を脱ぎ捨てて、車に向かって歩き始めたのだ。
一年で最も寒い二月、上着を脱ぎ捨てた古川原は、上半身白い長袖の下着一枚になった。ズボンの上にその白い下着をだらんと出して、ふらふらとその車に近づいていった。どこから見ても、少しおかしい、髪の長い若い浮浪者そのものである。
(どこまでいけるか……)
古川原の視力は、二・〇である。目のよさだけは、自信がある。相手にたとえ気づかれても、少なくとも警察とは思われないだろう、こんなおかしな浮浪者を誰も警戒はしない。ついに、古川原は、公園の端まで来た。距離は、まだ三十メートルはある。
ナンバープレートに「足立」が見えた。「56」という数字も見えた。だが、その次にある平仮名が見えない。もっと接近するしかない。
古川原は、公園の真ん中ほどまで進み、そこのガードレールに腰を下ろした。その時、すべてが見えた。平仮名も、残りのナンバーも、はっきり見える。
(俺は“浮浪者”だ。怪しまれるわけがない)
自分に言い聞かせつつ、必死にナンバーを頭に叩き込んだ。ナンバーを覚え込んだ古川原は、今度はふらふらと、もと来た道に戻っていった。できるだけ頭のおかしい人間を装った。右にふらついたかと思うと、今度は左に、といった具合に足がもつれた人間を演じながら、次第に車から離れていった。
奇妙な平静と、動悸が呼吸を呑み込んでしまうほどの緊張が古川原の身体の中に同居していた。
ようやく身を隠せる路地まで来た。死角に入った時、古川原は掌にボールペンで車の番号を書いた。
ナンバー照会によって、古川原が目撃した車の持ち主は、すぐに割れた。
大道寺将司、二十六歳。荒川区南千住のアパートに住む勤め人である。アパートには、夫婦で住んでおり、妻の名は、あや子、二十六歳である。基礎調査で、二人が共に北海道の釧路出身であることがわかった。佐々木も、そしてこの夫婦も北海道だった。
極本は、新たな人間の登場に緊迫感を強めていた。(つづく)
◆門田隆将(かどた・りゅうしょう)/1958(昭和33)年、高知県生まれ。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『太平洋戦争 最後の証言』(第一部~第三部・小学館)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)がある。
※週刊ポスト2013年11月8・15日号