老人ホームは本来「終のすみか」であるはずだが、入居者の多くは病院で亡くなる。なぜか? 約200人の看取り経験ある特養ホーム常勤医で『平穏死のすすめ』著者の石飛幸三氏が日本が「看取り後進国」である理由について語る。
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老人ホームは最期の時が近づいていることを悟った人が来る施設です。ならば、「看取ること」こそ、ホームの使命であるはず。しかし、自然な最期を迎えようとしている8割の人が、ホームの居室ではなく、病院に送られて亡くなります。それも、多くの管につながれ、痛み苦しんで、最期は意識も半ばの状態です。
高齢者の約8割は、過剰な延命治療をせず、自然に亡くなっていきたい、つまり「平穏死」したいと希望しています。ではなぜ、大多数の人が自室のベッドで息を引き取ることを許されないのか。
理由のひとつは、施設側の責任逃れです。まだ息がある段階で治療をストップすると、ホーム側が保護責任者遺棄致死罪や殺人罪に問われる可能性がある。入居者本人が平穏死を望むという事前指示書「リビング・ウィル」に署名していても、家族に訴えられれば、法的には施設側に有利になるわけではありません。
だから、多くのホームでは施設内での看取りを嫌がり、病院に責任を押し付けるのです。病院も、体力が落ちて食事を摂りにくくなった人が誤嚥しては大変なので、たった15分間の手術で胃ろうを施す。そうして、ますます体力が落ち、薬漬け、管だらけになって、死ななければならなくなる。
いろんな人が責任回避した結果、日本が世界で稀にみる「看取りのできない国」になってしまったわけです。
認知症で自分自身の状態がわからず、食べられなくなっても管で栄養を流し込まれ、無理矢理に生かされる。それは本当に幸せなことなのでしょうか。本人だけでなく家族も、「医療の限界」と「本人の死期」を真剣に考える必要があります。
幸い、徐々に「平穏死」の考えも広がりつつある。私の勤める特養ホームでは約9割が施設で亡くなり、病院に死にに行くこともなくなりました。もっとそういうホームが増えてほしいと考えています。
※週刊ポスト2013年11月8・15日号