習近平主席が「バツイチ」で、離婚歴があることは公然の秘密だが、習氏が離婚による精神的なダメージで、当時勤務していた中央軍事委員会での国防大臣秘書というエリートコースを捨てて、地方の末端幹部に転じていたことが分かった。香港誌「名声」が報じた。
これまでの“定説”では「地方で末端の民衆と国家建設に邁進したい」とか、「北京の周辺から出ることができない“籠の鳥”になるのはいやだ」、あるいは「大幹部の父親(習仲勲・元副首相)の息のかかったところにはいたくない」という習氏の気持ちが強かったことが原因とされていたが、離婚によって傷ついた心を癒すために、前妻との思い出が残る北京から出るために、地方幹部に転じたという指摘は初めて。
習近平氏は1979年7月、名門の清華大学を卒業。専門は化学だったが、まったく関係のない中央軍事委に事務職で入った。今も昔も中央軍事委への就職は極めて難関で、入れるのはエリート。しかも、習近平の場合、中央軍事委秘書長で、国防相や党政治局員になる軍の大幹部である耿ヒョウ(こうひょう)氏の秘書になるので、大学卒業したての新人として大抜擢。エリート中のエリートというわけだ。これは、父親の習仲勲氏のコネが大きかったとの見方もある。
ところが、習近平氏はこの職をわずか3年で辞めてしまう。この原因が離婚だったというのだ。
習氏の初婚相手の父親は新中国建国前に習仲勲氏の部下だった柯華氏。彼は1954年に外務省に転じて、アジア局長などを経て、フィリピンやタイの中国大使を歴任している外交官。1997年の香港返還交渉でも活躍した。
柯氏の末っ子の娘が習近平氏と結婚した柯小明氏。結婚生活は習氏が大学を卒業後、軍事委を辞めるまでの3年足らずと短く、離婚当時、柯小明氏はロンドンに留学中で、習氏に「ロンドンに来なければ、離婚する」と三行半を叩きつけていたという。
習氏は甘えん坊で気が強い柯小明氏に飽き飽きし、離婚を決意したが、さすがに初婚の相手だけにショック大きかった。それが、その後25年も続く地方勤務の大きな原因だったわけだ。
『習近平の正体』(小学館刊)の著書もあるジャーナリストの相馬勝氏は次のように解説する。
「あとからみると、習近平氏にとって離婚は大きな人生の分岐点で、マイナスよりもむしろプラスになった。それは再婚相手が『中国の歌姫』と呼ばれる人気絶頂の歌手で、人民解放軍の歌舞団の一員だったこともあって、習近平の軍内基盤を形成した。
さらに、25年の地方勤務で豊富な行政経験を積み、上海のトップになって、政治的な発言力が強い江沢民・元国家主席らとも密接な関係を構築。最高指導者就任の有力な要因となったからだ。もし習氏がそのまま軍事委にとどまっていれば、いまの習氏はない。その意味では、習氏は三行半を突きつけた柯小明氏に礼を言ってもいいくらいだ」