二〇二〇年東京五輪に向けて、危機管理への意識が高まっている。それは、無関心だった原発テロへの懸念と共に切実な問題として浮かび上がっている。だが、かつて東京は世界で最も爆破テロの危機に晒され、それと敢然と闘った都市でもあった。その知られざる闘いの内幕を『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』(小学館刊)で門田隆将氏(ノンフィクション作家)が追った。
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(【狼の牙を折れ】三菱重工爆破事件の内幕実名証言【4/6】のつづき)
その後の手に汗握る攻防の末、ついに犯人グループの全貌が明らかになるのは、昭和五十年五月のことである。
昭和五十年五月十八日、日曜日の午後八時半。千代田区一番町の警視総監邸──。
産経新聞の警視庁記者クラブキャップ、福井惇(四五)は、土田國保・警視総監(五三)の公邸にいた。
この時、福井ら産経新聞の警視庁記者クラブの面々は、「明日、犯人逮捕」の情報を掴んでいた。
夜討ち朝駆けの過酷な取材の中で、福井たちは翌日の「着手」と犯人たちの「実名」を割り出していた。その最終確認と記事が出ることを告げるために福井は警視総監邸にやって来たのだ。
土田は、三年五か月前の土田邸爆破事件で民子夫人を喪っている。通されていた二階応接室のドアが開いた。土田だ。福井の来訪で、取り敢えず背広だけを羽織って出てきたようだ。
「やあ、福井さん。今日はどうかしましたか」
土田は、特徴的な優しい笑顔で福井に語りかけた。
「総監」
だが、福井の態度がこれまでと違っていた。いきなりそう呼びかけると、ひと呼吸おいてこう言った。
「明日ですね。記事を書いてきました」
単刀直入なひと言だ。明日ですね、という言葉だけで、土田にはわかるはずだった。
一瞬、土田の息が止まったように見えた。顔全体がみるみる紅潮していく。福井は、ぐっと歯を噛みしめた。土田の口からどんな言葉が飛び出すのか。
「(記事を)止めてください」
それまでのにこやかな表情が一変し、眉間に深い縦皺を刻んだ土田は、福井を見据えて、そう言った。
(まずい。目を見たら……やられる)
福井は、剣道七段で、吸い込むような目を持つ土田から視線をそらして、こう告げた。
「(記事は)止まりません。輪転機がまわっています」
輪転機がまわっているというのは、嘘である。だが、もう記事を止めようがないことを土田に知って欲しかった。しかし、土田はすかさずこう言った。
「輪転機を止めてください」
「無理です。それはできません」
「危険です。不測の事態が起こる可能性がある。犯人たちは、すでに次の爆弾を持っている。もし、(犯人に)気づかれたら、捜査官だけでなく、一般市民にも被害が及ぶ可能性がある」
福井の頭では、「情報の確認ができた」という安堵の気持ちと、けが人を出さないために「輪転機を止めてくれ」という総監の言葉の重さのふたつが、激しくぶつかり合っていた。
「輪転機を止めさせることは、私にはできません。しかし、総監の意向は編集局長にお伝えします」
福井はそう言うのが、やっとだった。部下たちのスクープを止めるわけにはいかなかった。しかし、どうしても駄目か、と土田はなおも食い下がった。
福井もまた抵抗する。話は平行線のまま終わった。土田総監が生涯にわたってつけ続けた日記には、この日、こんな緊迫の記述が残されている。
〈五月十八日(日)
福井サンケイキャップの動きしきり。官舎に二回来訪、三回目は八時半。
應接間で談判 既にダイヤモンドホテルに本陣をおき、全国から腕ききをよびよせ、頑張ってる由。「斎藤」も知っているらしい。
明朝現場での特ダネ取材を約束する故 夕刊で頼むと依頼。一度帰っていったが、漸く十二時過ぎTEL.駄目とのこと。社会部長に今一度頼んだ。しばらくして、一時半、福井君再び来訪。頭を下げ乍ら帰って行った。都内版に限定し、NHK、民放には配達しないと約束。それでも大事件である。
やむなくNHK船久保氏、社会部長にTEL.更にキャップよりTEL.来て朝八時半報道を協定。検事正、長官、廣報課長、中島君に夫々TEL.二時半横になるも眠れず。ウィスキーを若干〉
産経新聞の報道が避けられないと知った時、土田総監はNHKに電話し、産経を見ても、八時半まではこれを「報道しない」という協定を結んだのである。それは、NHKに朝一番から放送されることをぎりぎりで封じた土田総監のウルトラCだった。(つづく)
◆門田隆将(かどた・りゅうしょう)/1958(昭和33)年、高知県生まれ。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(角川文庫)で第19回山本七平賞受賞。近著に『太平洋戦争 最後の証言』(第一部~第三部・小学館)、『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)がある。
※週刊ポスト2013年11月8・15日号