名物番組「笑っていいとも」の終わりは、ひとつの時代の終わりである。笑っていられない時代が、すぐそこにやってくる。大人力コラムニスト・石原壮一郎氏が、「『笑っていいとも!』というタイトルが教えてくれた究極の大人力」について語る。
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1982(昭和57)年10月にスタートした『笑っていいとも!』が、来年3月で終了してしまいます。寂しいですが、ここでしんみりしちゃいけません。『笑っていいとも!』が、そのタイトルや中身を通じて私たちに教えてくれたのは、どんなときも、どんなことも「笑っていいんだよ」ということ。人生にはいろいろな出来事がありますが、無理にでも笑ってしまうことができればどうにかなるし、結局はそうやって乗り越えるしかありません。すべてを笑おうという姿勢は、大人として身に付けておきたい、いわば究極の大人力だと言えるでしょう。
大げさに言えば、戦後の日本は『笑っていいとも!』以前と『笑っていいとも!』以後に分けられます。番組が始まった1982年の日本は、どんな社会だったのか。自分が当時何歳だったかを計算しつつ、振り返ってみましょう。私事で恐縮ですが、自分は大学1年生でした。2年生になった春の新歓コンパでは、全員で「世界に広げよう○○寮のワ!」と叫んだり、「飲んでいいかな?」「いいともー!」を連呼したりしていた記憶があります。
1982年の大きなニュースとしては、日航機が「逆噴射」で羽田沖に墜落、三越の社長解任劇、北炭夕張炭鉱の閉山、東北・上越新幹線の開業(大宮発)などがあります。持ち帰り弁当や紙おむつ、レンタルビデオ、家庭用カラオケが登場したのもこの年でした。
流行語は「イマい」「ルンルン」「ひょうきん」「なめたらあかんぜよ」「ほとんどビョーキ」など。西武百貨店の「おいしい生活」という広告コピーも話題を呼びました。バブルの到来はまだまだ先でしたが、兆しのようなものは随所に見受けられます。
忘れてはならないのが、『笑っていいとも!』の前に同じ枠で2年間放送されていたバラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』のこと。B&B(島田洋七・洋八)のふたりが司会を務め、ザ・ぼんち、ツービート、紳助・竜介らが活躍しました。
その頃は、まだまだ笑うことに対して、不謹慎だとかふざけてるといったマイナスのイメージが強かった時代。この番組が堂々と『笑っている場合ですよ!』と言い切ってくれたことで、日本人の意識が少し変わった気がします。そんなベースがあったからこそ、一歩進んだ『笑っていいとも!』という“励まし”を素直に受け止められたに違いありません。
番組が来年の春で終わる昨今の日本は、偶然でしょうけど、しかめっ面のほうが偉いみたいな雰囲気が蔓延しています。困ったことを笑ってやり過ごそうとしたら「笑ってる場合じゃない!」「笑ってたらよくないとも!」と言われそうです。物心ついてからの大半を『笑っていいとも!』を横目に見ながら過ごした私たちとしては、番組が終わったあとも、何でも笑い飛ばそうという究極の大人力をしっかり受け継いでいきましょう。
……あっ、もしかして、単なるこじつけに見えたらすいません。鼻で笑ってください。