みずほ銀行の暴力団融資問題が報じられたとき、今年もっとも注目を集めたドラマ『半沢直樹』の一場面を思い浮かべた人も多いだろう。片岡愛之助が演じるオネエ言葉でまくしたてる黒崎駿一と同じ金融庁検査局主任検査官をかつて務めたことのある人物の指摘から、ジャーナリストの須田慎一郎氏が、みずほ銀行をめぐる問題における不可解なポイントについて解説する。
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大手マスコミはまったくの無視を決め込んでいるが、みずほ銀行の暴力団融資問題を巡って、永田町を舞台に金融庁の畑中龍太郎長官が批判の矢面に立たされている。
今回の件であまりにも不可解とされているポイントは、なぜ金融庁が当初「暴力団融資に関する情報把握は担当役員止まりだった」とするみずほ銀行のウソの報告を鵜呑みにしたのか、という点だ。
「金融庁が銀行側の主張を何のチェックもしないままスルーするなら、自ら監督機関の責任を放棄したことになる。普通だったら、その裏付けとなる資料、たとえば取締役会の議事録や配付資料には最低でも目を通すはずだ。それすらしていないというのは、あまりにも杜撰で異常だ」
かつて銀行検査で主任検査官を務めたことのある人物はそう指摘する。
この異常事態を受けて、「金融庁は特別な意図をもって、みずほ銀行に配慮したのではないか」(中央省庁首脳)という見方が広まっている。
「少なくとも畑中氏が長官に就任してから、金融行政にかつての“裁量行政”が復活したことは間違いない。つまり監督官庁と業界は運命共同体という発想だ」(金融庁OB)
金融行政には、小泉政権誕生までは、その種の癒着の構図がはびこっていたと言っていい。しかし小泉純一郎─竹中平蔵ラインの登場によって、「事後規制」というスタイルが導入され、事前の指導、過剰な介入がなくなった。そのかわり違反があれば、後にペナルティが科されるようになったため、両者の間には緊張状態が生まれた。
ところが畑中体制になって、金融行政は先祖返りしてしまったというのだ。
その畑中長官は今夏の霞が関人事で留任が決まり、在任3年目という異例の長期政権となっている。
「金融担当相を兼務する麻生財務相は消費増税にかかりきりで、金融庁にまで充分に目が届かない。もはや金融庁内部では、誰も畑中長官には逆らえない。いま、畑中長官が狙っているのは銀行への検査官常駐だと言われている。建前は、銀行を常時厳しく監視するというものだが、実態はあらたな官僚利権の確保だ」(金融庁幹部)
実現すれば、役所の焼け太りにほかならない。
※SAPIO2013年12月号