10月上旬、アメリカ・テネシー州の州都ナッシュビル。貸し切られた某ホテルに、100人を超える中国系の人たちが集まっていた。世界約30か国から極秘のうちに参集した彼らは「中国民主運動海外連合会議」のメンバーだ。各地域で民主活動家をまとめるリーダー級の人物ばかりである。
彼らはホテルの会議室で議論を交わし、今後の活動の指針として、合意文書を作成した。日付は〈2013年10月16日〉、タイトルは〈中国民主革命檄文(げきぶん)〉だ。文書の内容を一部、紹介しよう(編集部訳)。
〈中共統治グループは、国内の各民族を抑圧する人民共通の敵である。(中略)抑圧され、略奪された人民よ、団結して立ち上がろう。造反して武装蜂起し、全体主義暴政を転覆させよう〉〈自由に民主的、平等、法治のもとにある幸福な故郷を築こう。人民には平和を求める権利がある。武装し、暴力で抵抗し、軍事クーデターといった手段で暴政に終止符を打とう〉
武力を用いて現政権を打倒することを呼びかけている。民主化組織としては、かなり過激で、扇情的な内容といっていいだろう。しかし、この“闘争宣言”を書き上げた「連合会議」は、そもそも、そうした暴力的な行動で民主化を目指す組織ではなかった。
発足は1998年秋。トップ(主席)を務めるのは、国内外で運動のシンボル的な存在である魏京生氏だ。魏氏は、1970年代後半から民主化運動の主導者となり、2度の入獄、計18年の服役を経験し、アメリカに亡命。現在もアメリカを拠点として活動する。共産党政権に“何か”が起きた時、民主政権のリーダーとして内外から期待される人物である。
本誌は、魏氏の側近で、「連合会議」の執行委員・アジア代表を務める民主活動家・相林氏に接触した。相氏は天安門事件以前に日本に留学しており、事件後も中国に帰国することなく、日本を拠点に民主化活動を続けてきた。相氏もテネシーでの会議に参加し、〈革命檄文〉の執筆に携わった。
「これほどの檄文が作られたのは、私たちの組織ではもちろん初めてのこと。過去の中国の歴史を振り返っても、王朝末期、悪政に対して決起した革命軍が掲げたぐらいのものでしょう。それだけの覚悟で書き上げたものです。
私たちが方針を変えた大きな理由は、習近平体制に対する失望です。習氏は国家主席就任前から“汚職・腐敗の撲滅”を掲げてきた。それに期待感を抱いていたが、大きな間違いでした。習体制になってから、多くの上級官僚が摘発されたが、失脚者の中に、習氏の出身母体である太子党はひとりもいない。“反腐敗キャンペーン”の姿を借りた派閥闘争、政敵の排除に過ぎないのです。
そして習一派は蓄財に励んでいる。官僚の汚職を指摘した活動家や、それを報じたジャーナリストは、本来はキャンペーンを後押しする存在なのに、次々に逮捕・拘束されたことがその証拠です。
私たちは30年間、平和革命を目指してきたが、一向に事態は進展していない。貧富の差がますます拡がり、庶民の生活が苦しくなる中で、あと30年も待てません。過去の王朝がそれで滅びたように、私たちも暴力革命に舵を切ったのです」
以前からも「連合会議」メンバーは北京当局から徹底的にマークされてきたが、今回の檄文起草にあたり、当局が神経を尖らせていることは想像に難くない。それでも会議には中国国内からも30人ほどのメンバーが、偽名などを使って秘密裏に参加した。
「実は、今回の会議には人民解放軍の関係者も身分を隠して参加しました。軍事クーデターを考えた時、軍との連携は不可欠です。
軍は共産党の指揮下にあるとはいえ、良識的な人物もたくさんいます。天安門事件の時には、“人民を殺したくない”と出動を拒んだ将校もいた。現在も、“人民解放”の名の通り、庶民を悪政から解放したいと考え、私たちと連携する軍関係者もいるのです」(相氏)
※週刊ポスト2013年11月22日号