1965年に第1回ドラフト会議が開催されて以来、多くの新人選手がプロ野球界に足を踏み入れたが、その歴史を振り返ると、ドラフト1位指名で期待されていたにもかかわらず、大成できなかった選手も数多い。
1969年は、夏の甲子園で「コーちゃん」ブームを巻き起こした三沢高のエース・太田幸司の指名に注目が集まった。近鉄に指名された太田氏は、実働13年で58勝85敗4セーブの成績を残したが、入団時の注目度に比べれば、物足りない成績だった。
太田氏は「甲子園での活躍が仇になった」と語る。
「僕としては、2~3年、二軍でみっちり鍛えてからと思っていた。でも、甲子園での活躍から周囲が時間的猶予をくれなかったし、僕自身も1~2年目は甲子園で活躍したプライドの元に投げていた。結果的にはそれが仇になりましたね。
1年目に1勝を挙げたが、その後はなかなか勝てず、2年目にはフォームがバラバラになっていました。2年目のオフに高校時代の野球を捨てて、3年目に2勝してからようやくプロが始まったと感じました」
甲子園のアイドルとして注目されたパターンとしては荒木大輔氏(1982年ヤクルト1位)も同じ。最近では大学経由ではあるが、今季は1勝に終わった斎藤佑樹(2010年日本ハム1位)も似たような立場に置かれているといえるかもしれない。太田氏はこう続ける。
「技術があってのプロ野球ですが、最終的には気持ちが強くないとダメ。勘違いせずに、まず自分をしっかり持てる選手が生きていける世界だと思っています」
※週刊ポスト2013年11月22日号