ホンダがスーパーカブを発売して55年になる。それを記念して、同社がユニークな55周年モデルを発売して注目を集めている。スーパーカブを通した、日本の技術魂を取材した。(取材・文=フリーライター神田憲行)
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発売されたのは「リトルカブ・55周年スペシャル」という。11月8日から来年1月26日までの期間限定受注モデルだ。一般的なスーパーカブより小さくして、車体に赤と黒を大胆に採用したデザインが印象的だ。
カブというとどうしてもお蕎麦屋さんの出前か新聞配達という「業務用」のイメージがあるが、
「カブはビジネスバイクという印象を払拭したかった」
と、本田技研工業広報部の高山正之さんは話す。
「カブを趣味的にも乗りたいというお客さんのニーズもあるんです。そこでこのモデルは研究所の若い女性デザイナーが担当して、丸みを帯びたカラフルな車体にししました」
「若者の○○離れ」というのはオートバイも例外ではなく、日本自動車工業会の調査によると、オートバイ所有者の平均年齢は48.5歳だ。しかしリトルカブのユーザー層は20代から30代半ばが多いという。
リトルカブには目に見えない「特徴」もある。それはこのカブが唯一の日本国内生産、メイド・イン・ジャパンのバイクであるということだ。
「2012年にスーパーカブの生産を中国の工場に移したことから、『ホンダのバイクは国内でもう生産されていない』という誤った認識が広がりました。リトルカブは熊本工場での生産ですから、この機会にその認識を改めて貰えれば」(高山さん)
ホンダがスーパーカブを発売したのは1958年のこと。燃費が良くて耐久性が高く、乗りやすいことから世界各地でヒット商品になり、累計生産台数は8500万台にも及ぶ。とくに東南アジアでは市民の足として親しまれており、ベトナムでは「HONDA」といえばオートバイ一般を指す普通名詞にもなっている。
本田宗一郎はこのバイクに当時の技術の粋を込めた。エンジンについては2ストロークが全盛の時代に、燃費が良いが構造が複雑な4ストロークを採用。乗り心地にこだわって当時は存在していなかった17インチ径のタイヤをメーカーに特注した。「泥よけ」と呼ばれるシールドも当時は技術的に困難と言われた樹脂加工に挑戦した。そうした技術にこだわった結果跳ね上がったコストは、藤澤武夫が量産体制を整え、販売網を組織化することで、抑えることに成功した。スーパーカブはホンダの伝説的創業者2人の見事なリレーが結実したバイクでもある。
同社の「50周年社史」でスーパーカブ開発についての経緯を読んでいて、感銘を受けたのが本田宗一郎が「乗り方」にもデザイナーに注文を付けたところだ。当時は燃料タンクをシートの前部に置くのが主流だった。しかし本田は、
《これは、後ろに足を上げてまたぐオートバイじゃないぞ。前からまたぐオートバイだ。スカートをはいたお客さんにも買ってもらうクルマだ。邪魔なところに置くな》
そこで燃料タンクは現在のようにシートの下に配置されるようになった。ハンドルとシートの間にスペースが生まれ、大股を広げなくても、前から足をちょこんとまたぐだけで乗ることができる。だからアジアの身体の小さな女性たちでも、移動のために、子どもの送り迎えに、大きな荷物を荷台に載せて走ることが可能になったのだ。
スーパーカブの基本的なシルエットは初代から変わっていないが、道路交通法の改正に合わせて車体は少しずつ変化している。55年前と全く変わっていないところはあるのだろうか?
「地面から荷台までの高さです。ここを変えてしまうと、荷物を載せるときのお客さんの感覚が狂ってしまう。この高さは変えないというのが開発陣のポリシーです」(同)
技術の粋に加えて、使う人への思いやりも込める。かつての「技術大国日本」の姿をスーパーカブは伝えている。