1988年から1992年に社会人になった世代、俗にいう「バブル入社」世代は約850万人いる。ドラマ『半沢直樹』では八面六臂の活躍をしたが、現実のバブル入社組の多くは悲哀を味わっている。
バブル入社組の有効求人倍率は毎年3倍に迫る勢いで、ピークの1991年には2.86倍に達した(リクルートワークス研究所調べ)。1人で3社の内定を得るのは当たり前だったことになる。ちなみに一回り年下の就職氷河期どん底世代は0.99倍だった(2000年)。
バブル期の就職活動で今もよく語られるのが、空前の売り手市場で内定者を拘束するための接待伝説の数々。会社説明会に訪れた学生に交通費や宿泊費として3万~5万円を配っていた企業もある。45歳の大手旅行代理店勤務の男性が語る。
「地方の学生の中には1泊2日で会社説明会を7~8社回り、40万円を〝荒稼ぎ〟した人もいます。大企業では内定者を拘束するためにハワイなど海外に連れて行って遊ばせてくれました。中小企業でも国内の温泉でコンパニオン付きの宴会を催し、1人当たり20万円かけることも珍しくなかった」
大量採用されたバブル組は当時11行あった都市銀行だけで毎年約4000人に達する。5年間のバブル組入社期に2万人もの”半沢直樹”が生まれたことになる。
大量採用企業は下の表に記した通りだが、主要電機29社では1990~1992年まで毎年3万人近く採用された。ところが1993年になると1万5000人台まで半減し、翌1994年には8752人とさらに半減。いくつかの有名企業で1991年→2000年の採用数の変化を見てみると、鹿島建設は430人→83人、大成建設は545人→147人、サントリーは322人→170人へと激減している。武田薬品工業にいたっては335人→39人と、実に10分の1近くになった(『サンデー毎日』就職クロスランキングより)。
※SAPIO2013年12月号