バッグの中から取り出されたのはピンクのキルティングの巾着袋だった。視線に気づいたのか、照れたように笑う。
「この巾着? 娘が小学生のときに使っていたのを、今は私が使ってるんです」
その中からは、預金通帳。
「先月で、ようやく300万円を超えました」
42才、東京都に住む主婦のA子さんはそう言って最新の金額を見せてくれる。301万1402円。これは、彼女のへそくり口座の通帳だ。
――名義が旧姓ですね。
「はい。OLのときに作った口座です。でも、その頃の貯金はほんの少しです。これはここ10年のパートで稼いだ分の、一部なんです」
週に4日、喫茶店で働いていることは夫も知っている。収入も、だいたいは知っている。ただ、そのうちの1割を、このへそくり口座に入れていることまでは知られていない。月におよそ1万円になる。
夫との間では、消費税が上がる前に、マンションを買おうかという話も出ている。それでも、この口座のことは隠したまま。
「『頭金がなぁ』って言うので、喉もとまで出かかりましたけど、のみ込みました」(A子さん)
――なぜ、ご主人には言わなかったんですか?
「お金って大切ですよね。将来、何があるかわからないですし、夫と離婚だって…」
A子さんの表情が曇った。
「母から、そう教わりましたから」
A子さんの父親は、大手の造船会社に勤めていた。収入は悪くはなかったが、金遣いが荒い。専業主婦の母親が、ため息をつく姿を何度も見てきた。そして、こうつぶやくのを何度も聞いた。
「せめて私が、へそくりでも持っていたらね――」
夫は、父親とは正反対の性格。それでも、母のあの姿が脳裏から離れない。勝手気ままだった父親は、定年退職直前に駅の階段で足を滑らせて、帰らぬ人となった。何があっても、この貯金に手をつけるつもりはない。
A子さんの一日は朝7時に始まる。夫と子供を送り出し、それから自転車で仕事場へ。終業時間の5時になる頃には、ふくらはぎがパンパンに張っている。そこから帰って、夕食の支度。その前に、必ずシャワーを浴びる。喫茶店の喫煙席に短時間いるだけで全身ににおいがつくからだ。
シャワーの後には、バッグからピンクの巾着袋を取り出して、通帳を開く。並んだ数字を見ると、少し元気が湧いてくる。巾着袋に戻して、紐をキュッと蝶結びにすると、夕飯の支度へと気持ちが切り替わるという。
――使いたくなることは、本当にないんですか?
「月末とかですかね。今月は厳しいなあって思うと、このお金のことを考えます。でも、うちは結局父のせいで家を手放したし、私自身、父の浪費癖を受け継いでいるかもと思うと、使わないというより、怖くて使えないんです」
A子さんはこの通帳のキャッシュカードは処分した。誘惑にかられても、簡単に下ろせないようにするためだ。
※女性セブン2013年12月5日号