【書評】『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』中村尚樹著/草思社/2310円(税込)
【評者】鈴木洋史(ノンフィクションライター)
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記された事実の数々に深い感銘を覚えると同時に、人間とは何かという根源的な問いを突きつけられるノンフィクションである。
遺伝性疾患や誕生前後に発症した脳性麻痺などにより、身体にも脳にも重い障害を負った人たちは、自分が言葉を喋れないばかりか、他人の言葉を理解できず、知的には乳幼児レベルと考えられてきた。
本書が最初に取り上げる八巻緩名(かんな)さんもその一人だ。ところが、2004年、9歳のとき、障害児教育の専門家である國學院大學教授・柴田保之氏の指導と介助により、生まれて初めて言葉によって自分の思いを表現した。平仮名の50音図から一文字ずつ選択する音声ガイド付きのワープロソフトと、身体のわずかな動きを利用して入力するスイッチを備えたパソコンをいじらせたところ、明らかに自らの意思で文字を選び始めたのだ。
やがて完成した文字列は〈かんなかあさんがすきめいわくばかり〉だった。母への思慕と申し訳なさを表現したその言葉を、著者は〈愛のメッセージ〉〈生まれてこのかたの思いをすべて込めた、至上の一文〉と評するが、まさにその通りである。
言葉を持たないはずなのに言葉を紡ぎ出す従来の医学や教育の常識を覆す現象に驚いた柴田氏が、同様の障害のある他の子供たちにも同じ方法を試したところ、今度は14歳の三瓶はるなさんが〈はるななのはな〉と打った。
母親は「菜の花」の意味を込めて「はるな」と命名し、そのことを繰り返し聞かせてきたが、それを理解していたのだ。表現手段を獲得したはるなさんは、溜まっていたマグマのように次々と言葉を迸らせ、詩まで作るようになる。
近年、同様の試みは他の専門家によっても行なわれ、成果を上げている。いずれも介助者を必要とするが、表現手段や方法はパソコンだけでなく、文字盤、筆談、指談(障害のある人のわずかな指の動きを介助者が掌で感じ取り、文字にする)など様々だ。そうした成果に対し、一般メディアを巻き込んで真贋論争が起こったこともあり、完全に決着がついたわけではないが、従来の常識が鉄壁でなくなりつつあることは確かだ。
※SAPIO2013年12月号