福島第一原発の事故から2年8か月。長引く避難生活をにらみ、政府は帰還困難者の移住支援も視野に入れる方向を示し始めた。そんな中、原発から南側、20kmのライン上、福島県双葉郡楢葉町の山間部に、原発事故後もずっととどまっている人がいる。100m四方の広大な敷地に農場を持ち、500を超える動物たちとともに『楢葉いやしの森』を営む坂本恵悟さん(58才)だ。
人口およそ7000人の楢葉町の大半は原発から20km圏内にあたる。昨年の8月の見直しで、警戒区域から避難指示解除準備区域となり、今は昼間の出入りは自由になった。が、楢葉町も、いわき市に仮役場を設けており、泥棒や空き巣の被害が多く危険だという判断から、宿泊は禁止しているという。町に残るのは、病気などでやむをえない人以外は、20kmのライン上に住む坂本さんだけだ。
『楢葉いやしの森』に近づくと、ワン、ワンと犬たちの鳴き声がする。
「避難するのに連れていけなくなった犬を預かったり、ペットショップで邪魔者扱いされた犬を連れてきたりして、今、犬は22匹になりました」(坂本さん・以下「」内同)
坂本さんは、水やりのホースの手を止め、笑顔で出迎えてくれた。犬のほかに、2頭の山羊、ウサギ、モルモットや、ガチョウ、アヒル、合鴨、烏骨鶏やチャボ、名古屋コーチン、青い卵を産む南米のアローカナなどの地鶏がおり、総勢500を超える大所帯だ。
坂本さんがこの集落に移り住んだのは13年前のこと。大学で福祉を勉強し、社会福祉の現場で一貫して障害者や心を病んだ人たちとかかわってきた坂本さんは、動物セラピーを勉強し、独立して障害者福祉の仕事をする傍ら、2匹の犬とともにボランティアでのセラピー活動を始めた。
南向きで川があり、畑と田んぼがあって横に飲める水が流れている。この集落はそんな条件にぴったりだった。
「動物たちがいて、会いたい人が来て心を癒して帰ってくれればいい。そんな気持ちで『いやしの森』と名づけたんです」
飼い主の事情で飼えなくなった犬を引き取るなどして、動物たちは増えていった。
「鳥たちにしても、ひなをかえすために、3時間おきに温度を測って、卵をひっくり返したりしながら、子供と同じように増やしていって、今の数になったんです」
ところが、そんな暮らしは2011年3月、東日本大震災の原発事故で一変。
「サイレンが鳴って、役場の有線放送で、『逃げてください』って流れた後、集落のみんなの『おい逃げるぞ』って声が聞こえ、いなくなった」
その後、「危険だから出てくれ」と再三避難を勧告されたが、「500もの命をおいて出て行くわけにはいかない」と残留を決めた。が、動物たちの命をつなぐには、毎日40kgの飼料が必要だ。卵を売る場所もなく、昨年8月までは原発20kmラインは立入禁止となり坂本さんは孤立する。昔の恩師や友人などの支援を受けても、そのままでは継続不可能だった。
そんなとき、坂本さんの窮状を知り、手を差し伸べる支援者が現れ、ホームページで飼料などの寄付を募ってくれたのだ。また、小誌の記事(2011年5月12・19日号)を読んだ読者が、スーパーやパン店から、くず野菜や残飯をもらう交渉をしてくれて動物たちの食事にあてている。
餌がないのか、それまで単独行動だったキツネが集団でガチョウや地鶏を襲ってくるなど、環境も厳しくなった。『いやしの森』から徒歩10分のところにある放射能測定器の数値はこの日、毎時0.130マイクロ シーベルトと基準値を下回る値(国の基準値は毎時0.23マイクロシーベルト)を示したが、ここから車で30分も走ると、立入禁止の10km検問に行きつく。坂本さんは言う。
「原発事故は本当に大変なことだけど、それをネガティブにとらえるか、前向きにとらえるかによって、これからの私の心のエネルギーの出方が違うと思っています。3・11からもうすぐ3年経つけど私にとっては1日1日が積み重なっただけ。ここは自分が動物たちと暮らすには一番だと思った場所だから自分が希望を失わなければいいのかなと思います」
※女性セブン2013年12月5日号