南野陽子(46才)は今、月の半分は父親(77才)を自宅に呼び寄せ、自分で介護しているのだという──。
都心から最も近い温泉郷といわれる神奈川県・箱根の玄関口、箱根湯本駅。数多の温泉宿がひしめくこの地に、ある介護施設が建っている。立派な大浴場や食堂があり、付近には散策できる広大な庭もある。
「最近も彼女は来ていましたよ。休みになると、ここで暮らすお父さんを迎えにきて、一緒に車で東京に帰っていくんです。親孝行な娘さんですよ」(近隣住人)
デビューからわずか1年でトップアイドルに上り詰めた南野。前途洋々な彼女に、周囲の注目は日に日に増していったが、そんな中、ひとりだけ複雑な心境で南野を見つめる人がいた。彼女の父親だ。
「お父さんはごく普通のサラリーマンで、派手なことを嫌う性格だったので、南野さんの芸能界入りに大反対だったんです」(南野の知人)
後に父親は折れて、南野の芸能活動を渋々認めることにはなったが、そうすると今度は南野に介入しすぎて、再び亀裂が入ることになる。1989年に南野が前事務所から独立して個人事務所を設立した際、それまで勤めていた会社を辞めて、自ら南野の個人事務所社長の座に就いたのだ。
「この時は、お父さんのあまりの独断専行ぶりに、個人事務所のスタッフともだいぶ揉めましたね…。“彼女のお父さんにはついていけない”って、何人ものスタッフが辞めていきました。南野さんも“芸能界のルールも知らない人が勝手なことしないで!”と激怒し、親子の間に大きな確執が生まれたんです」(芸能関係者)
しかし、母親の死後、そんな関係に少しずつ変化が生まれた。
「お父さんは、長年患っていた糖尿病のために足腰が不自由となり、車いす生活を余儀なくされています。お母さんが亡くなる前は、南野さんの実家である兵庫県の宝塚で夫婦で暮らしながら、お母さんが懸命に介護していました。
そんなお母さんが亡くなった後、お父さんを自宅にひとり残しても、彼ひとりではとても生活できません。それで南野さんは、自分がお見舞いに行きやすく、環境にも恵まれた箱根の施設にお父さんを入れることに決めたんです」(前出・南野の知人)
施設に入れるのではなく、自宅で介護するという選択肢もあったが、当時、南野は4才年下のIT企業社長(42才)と結婚したばかり。
「しかも、この旦那さんは当時から5000万円近い借金を抱えている人で、お父さんは“そんな奴は認められない”と結婚に大反対でした。結婚後も旦那さんとは話もしないような仲だったので、父親と同居して面倒を見るのは、とても無理な状況でした」(前出・南野の知人)
しかし1年ほど前から、父親の糖尿病の症状がさらに悪化した。この事態に、南野の気持ちは揺れ動いた。
「“いろいろあったけど、私にとっては親だから、一緒にいてあげたい”って…。東京の自宅マンションで父の面倒を見ることを、思い切って旦那さんに相談したそうです。旦那さんも、彼女の気持ちを理解して、了承したようで、自宅をバリアフリーに改築して、頻繁にお父さんを呼ぶようになったんです」(前出・南野の知人)
両親のために、南野が宝塚に3億円の豪邸を建ててから20年あまり、多忙のため、ほとんど実家に帰ることもできずにいた彼女。
「お母さんはよく東京に出てきていましたが、お父さんは複雑な関係に加えて持病もあって、ほとんど上京もできず、南野さんとは年に数回顔を合わせる程度でしたからね…。南野さんは今、そんな20年間の父との“空白”を埋めようとしているのだと思いますよ」(前出・南野の知人)
※女性セブン2013年12月12日号