俳優の伊吹吾郎といえば、長寿シリーズだった「水戸黄門」の格さんや、子ども世代には「侍戦隊シンケンジャー」で殿に従う日下部として知られるとおり、着物に刀を手にした時代劇俳優のイメージが強い。だが、1969年に「無用ノ介」で主役に抜擢されるまで時代劇は未経験だったという伊吹の言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏が解説する。
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伊吹吾郎は1966年、第7回東宝ニューフェイスに1万3千人の応募を勝ち抜いて合格、その後は東宝俳優養成所を経て、劇作家・菊田一夫の主宰する劇団東宝現代劇に所属した。が、大きな役に付けない状況もあって移籍し、1969年のテレビ時代劇『無用ノ介』(日本テレビ)で主演に抜擢されている。さいとう・たかをの同名劇画が原作。『血槍富士』『飢餓海峡』などで知られる巨匠・内田吐夢監督初のテレビ作品だった。
配役の決定が11月末で、年明けの1月15日にはクランクインが迫る。そうした中で、時代劇未経験の伊吹は殺陣師たちと新宿御苑で稽古に励んだ。
「内田先生はオープニングの1カットだけで一日かけて撮影していました。テレビ映画でそこまでやる人はいませんよ。先生の演出は孫をあやすような感じでした。たとえば殺陣のシーンで『このチャンバラで無用ノ介は斬る気があるのかな?』と聞いてこられたので『いや、斬らないで、あしらうだけです』と答えたら『ああそうか。じゃあ、もっと力を抜こうか』とかね。
打ち上げの席ではこんなことを言われました。『伊吹君、誰でも主役を一本終わると《俳優》になったと思う。でも、それは違う。君は今、<は・い・ゆ・う>の<は>の字を卒業しただけで、まだ<俳優>じゃない』と。
ゲストには山形勲さん、大友柳太朗さん、伊丹十三さんと錚々たる方々が出ておられましたが、中でも左幸子さんには勉強させていただきました。左さんは短刀を相手に向ける場面で、刃を上に向けるか下に向けるかでカメラマンと熱心に打ち合わせをされているんです。僕は『別にどっちでもいいのに』と思ったんですが、そうじゃない。どっちの向きが不気味に見えるか。そこまでこだわっていたんです。
僕も今はいろいろとこだわっていますよ。時代劇って所作や扮装が日常と違いますからね。たとえば鬘にしても、予め用意されたものを着るんじゃなくてね。子額の位置は眉毛からどのくらい離れているのが自分にとって一番バランスがいいのか、もみあげの長さもどの程度が一番合っているのか、とか。それで、自分にぴったりな鬘を作ってもらうようにしています」(文中敬称略)
●春日太一(かすが・たいち)/1977年、東京都生まれ。映画史・時代劇研究家。著書に『天才 勝新太郎』(文春新書)、『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』(PHP新書)ほか新刊『あかんやつら~東映京都撮影所血風録』(文芸春秋刊)が発売中。
※週刊ポスト2013年12月6日号