終戦直前に東京帝大で医学を修めた祖母の勤務地、旧東ドイツに生まれ、文化大革命さなかの中国で育ち、14才で日本に帰国。米国、英国の航空会社で客室乗務員(CA)などを務めた後に国連職員へ――。
波乱万丈な経歴を持ち、国連職員時代はアフガニスタンで襲撃を受け奇跡的に助かるという壮絶な経験もしているという佐藤真由美さん(45才)。今回、佐藤さんが書いたのが『跳べ!世界へ-エアラインから国連、国際NGOへ-』(解放出版社)だ。実際にお会いした佐藤さんは、笑顔が絶えず、明るく元気でオープンな雰囲気。
「多国籍の中で働いてきたので、物怖じしなくなりましたし、柔軟な物の考え方は身についたかもしれないですね」と言ってあっけらかんと笑う。
米国留学中は、言語の壁や差別、疎外感に打ちのめされたことも多々あった。
ひと昔前に比べ海外に出る人が増えた一方、留学途中で挫折して帰ってくる人も後を絶たないが、自身が乗り越えられたのは「開き直り」と「覚悟」と笑う。
「“英語はヘタだけど、教えて”みたいな感じでいつもくっついていました。私の明るさ、フレンドリーさが各国の人たちに気に入ってもらえたのかもしれません。語学力の向上には、楽しい会話を心がける、つまり教養とサービス精神は大事なのではと思います」(佐藤さん・以下「」内同)
“~ねばならない”と型にはめる日本の教育にも問題があるという。
「私よりはるかに英語が流暢でもホームシックで帰ってしまうかたもいました。いい学校を出て勉強もできるかたたちは、“これだけ勉強してきたんだから間違えた英語を話しちゃいけない”と縛られている感じが見受けられました」
日本の企業では昇進の条件にTOEICの点数を基準に設けるところも増えてきたが、実のところ、海外ではあまり役に立たないという。
「ただ、単語の勉強はいっぱいなさった方がいいですね。話す相手に応じて同じ意味を持つ単語を使い分けるクセをつけておくと、後々のビジネスシーン等で役に立ちます。あと大事なのは、日本が抱える諸問題や時事について知っておくことと、日本の伝統文化や芸能、武道をひとつだけでも覚えておくこと。自身の国を知らないと、教養や人格に対して厳しい評価・意見が出がちです。積極的に対話することで英語力がつくだけでなく、疎外感もなくなると思うんです」
※女性セブン2013年12月5日号