プロ野球選手の背番号は重い。ある番号を背負ったとたん、スランプや怪我に悩まされ、選手やファンに忌み嫌われる「呪いの背番号」も存在する。たとえば、巨人の背番号「7」。本来なら縁起のいい番号だが、巨人では不運な運命を辿る選手が多い。
歴史は戦前にまで遡る。最初に背負ったのは筒井修。名門・松山商(愛媛)で4番・遊撃手として甲子園優勝を果たし、大いに期待されたが、2度の徴兵で左手の親指以外の指を失い、選手生命を絶たれた。
戦後しばらく与那嶺要が背負い、首位打者3回と大活躍するも、川上哲治監督との確執の末、中日に追放される。その後、大洋から移籍して「7」を与えられた桑田武は無安打のまま戦力外。移籍先のヤクルトで、オートレースの八百長疑惑(黒い霧事件)で逮捕され1970年に引退した。
ここから、「7」を背負った選手は次々とスキャンダルに巻き込まれていく。
柴田勲は「12」から「7」に変更したところ、球場では女性との交際をテーマに騒がれ、引退後にはトランプ賭博で逮捕された。続く吉村禎章も、「55」を「7」に変えた2年後の1988年、守備中に味方野手と激突して大ケガ。引退後に女性スキャンダルも発覚した。
最近も呪いの連鎖は続いている。二岡智宏は不倫騒動を起こして日本ハムにトレード。現在の長野久義も、入団して背番号を渡された翌月に女子アナとのスキャンダルが発覚。しかも報じたのは『女性セブン』だったというオチまでついた。
巨人では、背番号「15」にも因縁がある。かつては捕手ながら“恐怖の8番バッター”と呼ばれた山倉和博が付けた。以降は期待の新人投手に渡されたが、なぜかこれを付けた選手は活躍できない。ファンの間では「山倉の呪い」といわれる。
一軍未登板のまま引退した辻内崇伸しかり、ダルビッシュ有とともに東北ビッグ3と称された木村正太しかり。現在の澤村拓一も、先発の柱と期待されたが、今や中継ぎ。不吉な影がちらつき始めている。
※週刊ポスト2013年12月13日号