名選手と背番号はセットになるもの。古くは村山実の「11」があり、工藤公康の「47」、イチローの「51」など様々だ。だが、本来栄えある番号であるはずのヤクルトの背番号「34」には、“カネやんの怨念”が詰まっているといわれる。
スワローズの34番といえば、いわずと知れた400勝投手・カネやんこと金田正一氏の背番号。しかしこの大投手の背番号を背負った後輩たちは、不遇の人生を送っている。
1970年、“金田2世”と騒がれてドラフト2位で入団した三橋豊夫は、2年目の肘の故障が響いて未勝利。続く黒坂幸夫も6年間で未勝利。1984年ドラフト1位の高野光は通算51勝をマークしたが、引退後に自殺してしまった。
その後1994年ドラフト1の北川哲也が背負うも、4年で4勝。それからしばらくは外国人投手に受け継がれたが、2009年にカネやんの享栄高の後輩、八木亮祐が背負う。しかし故障のため一軍登板すらできず、間もなく70番に変更された。
金田氏は何というか。
「ヤクルトで34が呪いの番号になっている? そりゃそうだろう。親会社が変わったからだか何だか知らんが、そもそもワシの34をスワローズの永久欠番にしなかったことが間違っとるんだ。みんな、34に気合負けしとるんだろう」
怨念が一球団で収まりきらないところが、カネやんの恐ろしさ。ロッテの背番号「34」にも、それは波及しているという。野球カード制作兼ライターで、背番号に詳しいしゅりんぷ池田氏が語る。
「1973年にロッテ監督に就任した金田氏は自らの代名詞『34』を希望したが、この番号を先に11年付けていた主力選手の池辺巌が背番号を譲ることを渋って対立。結局金田監督が背番号を“強奪”し、池辺は1975年に阪神に放出された。これが原因なのか、それ以降、ロッテの34は活躍できなくなりました」
1993年ドラフト1の加藤高康は2年で退団。1995年にFAで阪神から移籍した仲田幸司もロッテでは未勝利。オリックスから移籍の渡部高史も1年で引退。2009年ドラ1の木村優太もプロ5年で未勝利と苦しんでいる。
恐る恐る、もう一度金田氏に聞いてみた。
「池辺が譲らなかった? バカタレ、このワシが監督で行くんだから、誰でもすんなり空けるさ。どこに行っても、34はワシの番号なんだから。池辺をトレードした? それはアイツが悪かったからじゃ」
祟りの正体、ここにあり!? 球界で34を背負うのは、やめた方がいいかも。
※週刊ポスト2013年12月13日号