アメリカNBCテレビが放送する公開オーディション番組「アメリカズ・ゴット・タレント(AGT)」で、日本人として初めてチャンピオンに輝いた蛯名健一さんのインタビュー【後編】をお届けする。
AGTは、英国版で歌手のスーザン・ボイルさんを輩出したことで知られる人気番組だ。歌手をはじめ、ダンサー、マジシャン、コメディアンら、様々なジャンルのパフォーマーが出場し、賞金100万ドル(約9800万円)を賭けて優勝を競う。インタビューの【前編】では、「Dance-ish」という蛯名さん独自のパフォーマンスについて聞いた。今回の【後編】で語られるのは、米国で成功するまでの道のり。東京の「普通の高校生」だったという蛯名さんは、なぜ米国に渡り、いかにしてダンスパフォーマーとして生計を立てるようになったのか。
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――ダンスを始めたきっかけは何でしたか?
蛯名:本格的にダンスを始めたのは、20歳でアメリカに行ってからです。高校時代は2年生から帰宅部で、普通の高校生でした。卒業後は園芸店に就職、理由は車が乗れたからですね。バイクも好きで、当時乗っていたのは日本産のアメリカンバイク。いつかハーレーダビッドソンでルート66を横断したいという漠然とした夢や、子供の頃から映画などの影響でアメリカになんとなくの憧れは持ってました。
で、その頃、失恋したんです。そりゃもう落ち込んで。で、立ち直ってから「そういえばアメリカに行きたかったんだ、俺」と。
――失恋してアメリカへ。そこでダンスに出会われた。そのきっかけは?
蛯名:言ってみれば「偶然」と「勘違い」です。英語が全くできないままアメリカに渡ったので、まず語学学校に入ったんですね。大学付属の学校だったので大学のイベントに参加できたんですが、その新歓ダンスパーティーでサークルができて、他の人が踊るのを見てたら自分も何かしないといけない雰囲気になって。
そこで、昔友達から教わったステップの一つをしたら、すごく盛り上がった。見よう見まねの素人ダンスなんですが、皆が笑ってくれて。カッコいいと思われていると完全に勘違いしたんです。それで気持ち良くて楽しくって、翌日から練習を開始しました。
真実は、ダサくてヘンだから笑われていただけですが(笑)。
――その勘違いから、ダンス人生が始まったと。それからはずっとアメリカですか?
蛯名:そうですね。当初、アメリカ留学は1年の予定だったのですが、勉強が初めて楽しいと思うようになって大学へ進学し、在学中からダンススクールで教えるようにもなりました。卒業後NYに引っ越して日本人チームを結成し、2001年には、ハーレムにあるアポロシアターで行われるアマチュアアーティストの登竜門「アマチュア・ナイト」で優勝。当時はヒップホップを踊っていました。
それ以降は次第に、ダンスという枠にとらわれず、演技や映像を取り入れたパフォーマンスを模索するようになっていきます。僕はそれを「Dance-ish(ダンスのようなもの)」と呼んでいるんですが。
――やはり日本よりもアメリカのほうが、仕事がしやすいですか。
蛯名:そうですね。ショーなど、見せる場が圧倒的に多いですから。またこれはダンスに限ったことではありませんが、演劇や舞台など含め、日本はどちらかというと、“人”をメインにした作品が多いように感じます。お客さんも、好きな出演者を見に来る。もちろん人も大事なのですが、僕は演出や構成で魅せたいタイプなんですよ。
――では日本のダンサー、あるいはパフォーマーはどんどん世界に出て行ったほうがいいと。
蛯名:そう思いますね。実力のある日本人パフォーマーってたくさんいるんです。世界で活躍できる人なんてごまんといる。僕がAGTで優勝できちゃったくらいですから。日本だと、実力あるのにバイトをしなければ食べていけなかったりする人が多いので、世界に出たほうが環境はいいと思います。