<50歳の誕生日をこうして無事に迎えることができますことを嬉しく思っております。生まれてからこれまでの歩みを振り返り、もう半世紀も生きてきたのかと思うと不思議な感慨に包まれます>──12月9日、50才の誕生日を迎えられた雅子さまは、こう喜びを文書で紡がれた。
春にはオランダをご訪問されるなど、順調に快復に向かっている雅子さま。8月に宮城、9月に福島と、東日本大震災の被災地を、日帰りながら皇太子さまとご一緒に慰問され、11月には岩手で3年9か月ぶりに宿泊を伴う地方ご公務も果たされた。
また、10月には『全国障害者スポーツ大会』の開会式にご出席になり、また10年ぶりに文化勲章受章者らとの茶会に出席されるなど、雅子さまにとって、精力的に公務にかかわられた一年だったといえる。
しかし、誕生日に同時に発表された、雅子さまの治療チームである『東宮職医師団の見解』は、最近の雅子さまのご様子とは、裏腹といえるものだった。
《妃殿下には、懸命に努力を重ねられ、ゆっくりとではありますが、着実に快復してこられました》
わずかながらご体調が好転していることは認めたものの、<ご体調にはなお波がおありであり、まだ快復の途上にいらっしゃいます。こうした中で、過剰な期待を持たれることは、かえって逆効果となり得ることをご理解頂ければと思います。今後とも、周囲の方々の理解と支援を受けながら、ご治療を続けられることが引き続き大切です>と、その見解は、2012年までの見解と何ら変わらない内容で、妃殿下のご病気は、まだまだ治っていないと示したのだった。
この一年を振り返れば、誰が見ても見違えるように活動の幅を広げられた雅子さま。それなのに、医師団がこういった内容の見解を発表するとは、いったいどんな事情があるのだろうか。皇室ジャーナリストの神田秀一氏は、こう説明する。
「『医師団の見解』は、まず雅子さまが目を通され、承諾されてから、初めて公にされるものなのです。そのため、過去には、雅子さまがご了解の意を示されず、発表が2か月後にずれ込んだこともありました。それほど慎重になられている背景には、医師団が“治った”と言ってしまうことを、雅子さまが恐れられているからでしょう。
今は、ご体調が好転し公務を果たされていますが、またいつご体調が後戻りするか、不安な状態です。しかし、一度、医師団が前向きなことを発表してしまうと、ご体調が後退したときに、国民を失望させてしまう。そのことを雅子さまは、いたく危惧なさっているのです。ですから、例年と変わらない見解が繰り返されることになるのです」
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号