今年4月、急性呼吸不全で亡くなった三國連太郎さん(享年90)。撮影現場で「スタート」の声がかかると、まるで別人になる。三國さんほど「生粋の役者」という言葉がふさわしい人はいなかった。
『別れの何が悲しいのですかと、三國連太郎は言った』(中央公論新社刊)の著者で、三國さんと20年以上の親交のあった作家の宇都宮直子さんが言う。
「普段の三國さんは、『優しいお父さん』という感じでした。一緒に散歩に出た時には、道端の花や虫を見て『これ、なんて名前だったかな』なんて言ったりして」
イメージ通りの温厚な人柄。ところが、撮影現場ではその表情が一変する。
「怒りをあらわにする場面の演技では、その鋭い眼光に恐怖を感じるほどでした。今から5年ほど前、冬場の撮影に立ち会ったことがあったんです。三國さんは“寒いね”と言って、鼻水を垂らしながら出番を待っていたのに、いざ本番が近づくと鼻水がピタッと止まったんです」(宇都宮さん)
そんな域に達していながら、役者としての自分を「まだまだ」と評し、「役者はこうあるべき」という話は決してしなかった。
「お元気だった頃から、『演じられなくなったら、生きている意味がない』という言葉を何度もお聞きしました。役者でない自分には、何の価値もない、と」(宇都宮さん)
最後まで“俳優”として人生を全うした三國さん。戒名をもらわず、位牌には「三國連太郎之霊位」とだけ。死してなお「三國連太郎」であり続けた。
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号