どんな夫婦にも順風があれば逆風もある。それをおしどりといわれる有名人夫婦たちはどう乗り越え、「円満」にたどりついたのか──。
【森永卓郎(56才)・弘子(54才)夫妻】
森永さんの体の半分ほどしかない弘子さんは、出会ったときに“田中裕子似!”と夫が身を乗り出したときのまま。「静かな暮らしをしたいので」、残念ながらお顔出しはNGだ。自宅のリビングで夫が語る。
「平日は都心で朝6時から深夜2時頃まで働いて、平均睡眠時間は4時間から5時間。そこにひとり暮らし。家族のいるこの家には週末しか帰ってきません。
週末しか会わないから、妻はぼくに言いたいことが山ほどある。バーッと話しているのをテレビを見ながら聞いていると“聞いてるのっ!”と。“聞いてるよ”“じゃ、返事してよ”“したじゃないか”。そういう言い合いはしょっちゅう。月に1回くらいのペースで妻は爆発していますね」
ふたりにとって最大の山場は、同居していた夫の父が、2006年に外出先で脳出血で倒れ、命は取り留めたが、左半身に麻痺が残ったとき。
「ぼくは家にいませんから2011年に亡くなるまで、妻に任せきりでした。この父親がまた昔の九州男で、倒れる前から生活能力がまるでない。母が生きていたころは靴下もはかせてもらっていたくらいですから、妻は大変だったと思います。ただ妻の実父も九州の男でしたから、ぼくの父親に違和感がないんですよね。それは助かりましたね」(森永さん)
そのときのことを妻は語る。
「私、過ぎたことはみんな忘れちゃうんですよ。忘れたフリ? いやいや、ほんとに覚えてないの。“別れる”って何度もキレたけど、キレた理由は…なんだっけ(笑い)。義父の介護は大変でしたよ。帰ってこない夫に“誰の親でしたっけ”ってメールしたこともあるもの。それでストレスがたまると、義父をデイサービスに預けて仲のいい友達とファミレスのドリンクバーで4時間くらい」
結婚したときは平凡なサラリーマン家庭だったのに森永さんはいくつかの転職をしたのち、一冊の著書を発表。その後ニュース番組からバラエティーやドラマにも活動の場を広げていく。そうした変化を妻はどう見ていたのか。
「突然だったらビックリしたけど少しずつ変化していったから。シンクタンクに勤めていたころから激務だったし。朝、目が覚めても隣にいないから、ああ泊まりだったんだって。かと思えば夜中に帰ってきて、椅子に座って湯のみ茶碗を手にしたまま寝ちゃって床がビショビショ。ねえ?」
いたずらっぽく顔をのぞきこむ妻にテレながら夫は語る。
「そうそう。妻がぼくのプロポーズを受けてくれた最大の理由は“怒らないから”。たしかにぼくは感情的になることがめったにない。なんで? そういう性格なんですよ。妻はよく怒るけど(笑い)」
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日