2013年もまた、多くの人が逝った。輝かしい業績を残した人々の多くは、裏ではひたむきな努力を重ね、自らを厳しく律している。生き様だからこそ、その口から発せられる言葉が、名言として人々の心を打つことになる。偉人たちが、さよならの代わりに、家族に、友人に、そして私たちに遺した名言とは――。
「息子と酒を酌み交わしたり、芝居の話ができるのがとても嬉しい。とても幸せなんです」と語った歌舞伎俳優の市川團十郎さん(享年66)。
團十郎さんと30年来の親交のあったノンフィクション作家・関容子さんは、そう話す彼の柔らかい表情が忘れられないという。
父親は戦後の大スター・11代目市川團十郎。父である前に師、というのが歌舞伎の世界。團十郎さんにとって、父子関係は複雑なものだった。
「もともと團十郎さんのお父さんは不器用なかたでした。團十郎さんには、師としては『違う、バカヤロー』と否定ばかりで、親としてもうまく愛情を示すことができなかったそうです」(関さん)
その父は、團十郎さんが19才の時に他界。大きな後ろ楯を失った團十郎さんは、一門を背負って必死に舞台に上がり続けた。だが、周囲からの評価は「不器用」「台詞回しが悪い」と厳しいものばかり。
そんな風当たりにも負けず、弛まぬ努力の末、38才の若さで12代目團十郎を襲名。以来、歌舞伎界を牽引し続けた。誰からも慕われる温厚な人柄や包容力は、そんな苦労ゆえに磨かれたものだろう。
息子・市川海老蔵(36才)には、師として父として惜しみない愛情を注いだ。
「子供の頃に、愛情を満足に感じることができなかった。その経験があるから、自分は子供や家族への愛を強く持ちたいと思っていたんでしょうね」(関さん)
海老蔵が酒の席でほかの弟子とけんかをした時には、激昂して「出て行け!」と一喝したことも。
「すると、海老蔵さんは本当に出て行ってしまった。『このまま帰ってこなかったらどうしよう』と、内心大慌てだったそうですよ」(関さん)
2003年、まだ新之助だった海老蔵はNHKの大河ドラマ『武蔵MUSASHI』の主演に抜擢され、一躍脚光を浴びる。その時に團十郎さんが海老蔵に送ったのが、
「うぬぼれには足音がない」
という言葉だった。
「海老蔵さんはその容姿容貌もあいまって、一気に人気が出ました。團十郎さんはそれを嬉しく思う半面、天狗になってはいけない、と心配なさったのでしょう」(関さん)
この言葉を忘れずに精進し続ける息子の姿を、團十郎さんは天国から見守っている。
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号