2013年8月、直木賞作家の小池真理子さんはひっそりと母を送った。8年近くにも及ぶ介護の苦悩は、ほとんど誰にも明かさぬままだった。彼女の介護は、それ以前の父から始まっている。4年前に亡くした父は、パーキンソン病で最後は自分の意思も伝えられない状態だった。母は認知症が進み、最後は娘の顔もわからぬ状態だった。
その介護について小池さんが自ら語ってくれた。
「さまざまな場面で苦渋の選択を余儀なくされましたが、それでも世間の目や一般的な価値観に惑わされることなく、自分のやり方を決め、それを貫こうと決めていました。親子関係は千差万別。
それぞれの事情がある。そうである以上、介護に正解はないと思うのです。世間の常識や方法論をやみくもに信じてはいけない。人にはそれぞれの方法がある。私も、他人の介護のことには絶対口を出さないようにしています。
老人ホームを利用するという選択をしたのも、感情ではなく理性で考えた末に、仕事と介護の両立は100%無理だと判断したから。親を見送ったあとも私の人生は続く。その人生が介護のために立ち行かなくなるようなことがあってはならないし、それは親の意に背くことだという気持ちもありました。
仕事を優先させ、基本的には何かあれば駆けつけるというスタイルをとりました。仕事をしなければ収入がなくなり、たちまち共倒れになってしまいます。
経済的な問題は深刻です。父の場合、施設に入るための一時金以外は本人の厚生年金で賄うことができましたが、母の時には、ほぼ全額を私が負担しました。横浜にいる妹が細かな雑事を請け負ってくれたので助かりました。
それ以外に、24時間体制で看てくれる、あるいは食事の面倒から爪切りまで家族のように世話をしてくれるヘルパーさんを個人的に雇う必要がありました。費用はかかりましたが、でもお金だけでは解決できないこともたくさんある。預金の管理など、家族にしかできないことが山のようにある、ということも実感しました」
しかし、もっとも大変だったのは、自分のモチベーションを保つことだったと振り返る。
「両親の介護中に私は数多くの小説を書いています。確かに仕事と介護の両立は容易ではありませんでしたが、ある意味、作品の世界に逃げ場を求めていたところはあります。
趣味でも友達とのランチでもいい。美容院に行ってきれいにしたり、ショッピングを楽しむなど、自分の心を喜ばせるための工夫をしなければ、いつまで続くかしれない介護生活を乗り切ることはできません。そこに罪悪感を抱くことなど、まったくないと思います。
両親を介して、人がどんなふうに衰弱し、死に至るのかを目の当たりにしたことで、私は自分の死をリアルに思い描くようになりました。結局のところ、人は一人で生まれ、一人で死んでいく。
それは決して寂しいことではなく、万物に与えられた宿命なんですね。死を考えれば、自ずと今をどう生きるのかという問題に直面します。限られた人生を自立して懸命に生きようという決意は、希望に通じるものです。
作品(『沈黙のひと』)を書いたきっかけでもあるのですが、父の死後、入所していたホームの部屋から手紙の下書きや備忘録に交じり、アダルトビデオや性具が見つかったんです。遺品整理していた妹と、大爆笑しました。実際に使っていたのかどうかはわかりません。でも話せない、歩けない、書けない父にも楽しみがあり、最後まで性的な世界を求め、その力が残されていたことに胸を打たれました。
人間はそんなに弱くないんですよね。母は施設ですごくモテたらしく、ふたりの男性に猛烈にアタックされていたとか(笑い)。恋愛沙汰や性愛行為もよくあると耳にして、人は最期まで、生の炎を燃やし続けるのだなと、荘厳な気持ちにすらなりました」
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号