大女優でありながら、夫・萬屋錦之介の借金などもあり、お金に苦労した淡路恵子さん(80才)。そんな淡路さんに、仕事の向き不向きについて聞いた。
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どんな仕事にも、向き不向きがあります。逆に言えば、誰にだって向いてる仕事はあるはずなんです。
「そんなの、ないわよ」って思い込んでる人は、自分が気づいてないだけかもね。
今や女優が天職だって確信してる私でさえ、最初は映画に出るなんて絶対にイヤだったもの(笑い)。
私が黒澤明監督の映画『野良犬』(1949年製作)でデビューしたのは、まだ松竹歌劇団の研究生だった16才の頃でした。
黒澤監督が踊り子の役ができる女の子を探してたの。踊り子っていっても場末の酒場で踊るような娘ね。日劇とか宝塚とか、他にもいろんなところを探し歩いてたんですって。“若くて素人っぽい娘”というのが条件だったみたいね。
そこで当時研究生だった私たち何人かが、黒澤監督をはじめプロデューサーとか映画会社の役員さんとかの前に呼ばれてオーディションみたいなのが開かれたの。っていっても監督の前で雑談するだけなんだけど…。
そこでどんな役がやりたいの?って聞かれてみんな、
「私は歌手の役」
「私は宝塚みたいな男役」
「私はウブな娘役」
とかって、それぞれの夢を語るのよ。
でも、その時の私の答えは「妖婦をやりたい」だったの(笑い)。そうしたら、えっ? ってみんなして驚かれちゃってさ。でも私は大真面目に言ったつもりだから、こっちのほうこそ、驚くじゃないの。
そのちょっと前にね、イギリス映画の『妖婦』(1946年製作)ってのを見てたからそんな答えになっただけで、奇をてらおうなんて思いは全然なかったわ。
映画に登場する妖婦は全身黒マント。馬に乗って現れて黒帽子をサッと取ると、長い金髪がフワァとなるの。かっこいいのよ、これが!
そんな話をしてたら“おもしろいね”ってことになったみたいで、映画の出演が決まっちゃいました。
でもね、私は松竹歌劇団の研究生よ。舞台に出るために頑張ってるんだから「映画なんてイヤだ」って、猛抗議したの。でも会社が決めたことなのでダメでした(笑い)。
当時、私は本名の井田綾子。映画に出るにあたって超尊敬していた宝塚歌劇団の大スター、淡島千景さんの「淡」の一文字をもらって芸名を「淡路」にしたの。恵子の方は黒澤監督がつけてくれたのよ。恵まれた子になるようにって。
女優・淡路恵子の誕生ね。
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号