プロ野球の黎明期、数々の伝説を作り上げた名選手たちが、もしも現代のグラウンドに降り立てばどんな成績を収めるか。今の球界への叱咤激励を込めつつ、“レジェンド”が大胆な“自己査定”をしてくれた。ここでは金田正一氏(80)の意見を聞こう。金田氏は1950年国鉄に入団。通算400勝、365完投、4490奪三振など、数々の不滅の大記録を打ち立てた。
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ワシが今プレーをしていたとしても、メジャーではやらなかっただろうな。日本の野球を守り、メジャーと対等に戦えるリーグに育てたい。まずはそのための努力をしていたと思うよ。
それから先にいっておくが、現役時代のワシをダルビッシュ有や田中将大と比べてもらいたくはないね。失礼だ。まず球が違うよ。私の球こそがプロフェッショナルです。
メジャーの試合を見ていても、縦の変化を使うのは日本人投手くらいだろう。あれで誤魔化しているだけ。田中がメジャーでどれくらい通用するかは見物だが、あの程度の直球では決して楽観視できないと思うよ。
ワシもかつて、メジャーへ行くチャンスがあった。ニューヨーク・ヤンキースが来日した1955年、ワシが22歳の時だな。ワシの投球を見たケーシー・ステンゲル監督が「日本のプロ野球の中で通用するのは金田だけだ。メジャーに来い」と誘ってくれたんだ。
当時のワシは国鉄の投手だったので、その一件は新聞にも載らなかったが、巨人にいたら大々的に報道されただろうな。その時はミッキー・マントルと対戦して3個の三振を奪って、観光気分で来ていたヤンキースの連中は目の色を変えていた。ワシはフォークなど投げず、カーブとストレートだけで、メジャーの連中を打ち取ったんだからな。
巨人に移籍した1965年には、後にドジャースの監督になったトミー・ラソーダが臨時コーチで来日し、キャンプでワシの投球を見て「こんな速球を投げるヤツが日本にいるのか」と驚いていたよ。それに比べて今の連中は、落ちる球がないと打ち取れないような、サーカス野球だろう。そんな野球をやっていたら、誰も見なくなってしまうよ。
なのにポスティングの入札額が上限20億円になったとか、黒田博樹が年俸16億円とかニュースを耳にすると、我々が苦労してプレーしていた時代は何だったのかと思ってしまうな。全盛期のワシが向こうに行けば、ストレートだけで勝負して、年俸30億はくだらんよ。
変化球で勝ち負けにこだわるのもいいが、攻めて攻めて攻め貫く、日本人投手が出てこないといかん。
※週刊ポスト2014年1月1・10日号