「チェッカーズはですね、1983年にデビューしております。アイドルにならなければよかったのに、気がついたらスーパーアイドルグループになってしまった」
12月19日、全国ツアー『藤井フミヤ 30TH ANNIVERSARY TOUR vol.1 青春』の大阪公演で、デビュー30周年を振り返り、藤井フミヤ(51才)はチェッカーズ時代について、そう語った──。
福岡県久留米市の仲間たちで結成されたチェッカーズだが、メンバーがオリジナル曲の制作を始めるようになった1986年ごろから、実はその絆には亀裂が入り始めていた。それは高杢禎彦(51才)が2003年に出版した著書『チェッカーズ』(新潮社刊)によって暴露された。
「作曲は(フミヤの弟)尚之(48才)やユウジ(大土井裕二・51才)らが担当し、作詞はフミヤが手がけました。これによって、彼らは莫大な印税を手にするようになり、当然のようにメンバー間に所得格差が広がったんです」(音楽関係者)
こうして始まったフミヤと高杢の確執。そして1992年に突然の解散。これもフミヤの意思だったという。
「解散すれば生活が苦しくなるメンバーが出てくるのは目に見えていたため、高杢は解散に反対したんですが、フミヤがその意思を変えることはありませんでした」(前出・音楽関係者)
こうして大親友だったフミヤと高杢は完全に決別することとなった。そんなフミヤだが、9月21日のツアー初日でのMCではファンが騒然となる出来事が…。
「おれたちが東京に出てきたとき、“高杢”とかあんな風貌だったから、年齢サバ読んでんじゃないかって言われたし(笑い)」
いきなり飛び出した“高杢”という名前に、雪解けの兆しを感じざるを得ない。さらにフミヤはチェッカーズ再結成について、今回のツアー中にこんな思いを明かしている。
「(バンドが)最近は解散しないね。休止という形を取る。バンドは、時が経てばいずれまた戻るんですが、チェッカーズはクロベエ(故徳永善也さん・享年40)が死んじゃったからね…」
「再結成」については否定的にも聞こえるが、こんな発言も。
「蔵にしまっていたチェッカーズの曲を引っ張り出しました。せっかく蔵から引っ張り出したので、今度は押し入れにでもしまっておこうと思います」
いつでも歌えるように、蔵ではなく押し入れに──これまで頑なだった心が少しずつほぐれてきているのかもしれない。
そして、フミヤがそんな思いに変わってきたのには、もうひとつ理由があるという。それは地元・久留米で暮らす母親の存在だ。フミヤの父親は、1995年5月に肝臓がんで亡くなっている。以来、母はずっとひとりで暮らしてきた。
「実はフミヤさんのお母さんは1年ほど前に体調を崩して入院したんです。退院してからは足腰が弱って歩行が少し困難になってしまったみたいで、介護施設のお世話にもなっているようです。もう80才も超えていますからね…。フミヤさんも尚之さんも結構頻繁に様子を見に帰ってきているようなんです」(藤井家知人)
フミヤの胸中には、そんな母親が心配し続けてきたことを少しでも楽にしてあげたいという思いもあるようだ。
「お母さんは幼なじみの高杢さんとの確執が出たときなんかはホントに寂しがっていましたから…。だからフミヤさんも、自分がいちばん輝いていたチェッカーズ時代の曲を歌ったり、高杢さんの話をして、もう大丈夫だよって、お母さんを元気づけているんでしょうね」(前出・藤井家知人)
※女性セブン2014年1月9日・16日号