プロ野球の黎明期、数々の伝説を作り上げた名選手たちが、もしも現代のグラウンドに降り立てばどんな成績を収めるか。今の球界への叱咤激励を込めた、“レジェンド”による大胆な“自己査定”。今回は豊田泰光氏(78)である。豊田氏は1953年西鉄に入団。1956年に入団した稲尾和久氏とともに黄金時代を築いた。
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田中将大が56年ぶりに稲尾の連勝記録を塗り替えたと騒がれました。そのため彼を稲尾と比較する人が多かったけど、稲尾とチームメートだったオレにいわせてもらえば、まったくレベルが違う。それにオレがもし今現役で、田中とチームメートだったとしても、彼を認めなかったと思います。
稲尾は常に、野球に“尽くしきった男”でした。だからこそ、オレをはじめ皆が彼を支えたし、西鉄というチームの強さはそこにあったんです。
稲尾が記録した開幕20連勝は、入団してまだ2年目の1957年。この時も稲尾は個人の連勝記録のための連投ではなく、あくまでチームが勝つための登板ばかりでした。この記録は75日間で達成したんですが、31試合のうち先発勝利は12で、残り8勝はリリーフで挙げた勝ち星なんです。田中は中6日のローテーションを守って先発、158日間を要しての連勝ですから、内容の違いは明らかでしょう。
それに、稲尾はどこかのエースみたいに、自分のせいで負けそうな試合でも、監督に「代われ」といわれているのに、「最後まで行く」なんてフザケたことはいいません。監督のいうことは絶対なんだから「ハイ」といえばいい。
その点稲尾は、負け試合でも泣き言ひとついわず、降板する時には、次の投手のためにマウンドをならすことを忘れない冷静さも持ち合わせていた。だからこそ、稲尾が投げる時はナインが何とかしてやりたいと思ったんです。
それに稲尾の時代、パ・リーグにどんな打者がいたと思いますか。山内一弘、榎本喜八、張本勲、野村克也……錚々たる顔ぶれが並ぶんですよ。また、稲尾とタイトル争いをやった投手には杉浦忠、スタンカ、土橋正幸、尾崎行雄、米田哲也がいて、こんな連中と真っ向から投げ合ったんです。
そんな中で、シーズン42勝、30勝以上が4回、入団以来8年連続20勝、年間400イニング以上2回と、今のプロ野球では考えられないハードワークの記録が並んだわけです。この数字を見て、今の人は「稲尾のすごさ」だけを語るけど、オレがいいたいのはそうじゃない。彼こそがチームに尽くし、野球に尽くした本当のエースでした。
派手なガッツポーズや、雄叫びも上げない。静かに、冷静にマウンドをこなしていた。バックを守る者としては、そんなエースこそ応援したいと思うのです。
※週刊ポスト2014年1月1・10日号