この2年間、いつも仲良く4人でメディアに登場していた蟹江ぎんさん(享年108才)の娘4姉妹。しかし秋以降、長女・年子さん(99才)はめっきり姿を見せなくなり、イベントにも3人だけが出演するようになっていた。2013年9月に姉妹たちに大きな変化が訪れたのだ。いったい、何があったのか。複雑な家族の事情と胸の内を姉妹たちが明かしてくれた。本誌も約3か月間取材が滞るという状態が続いていた。
美根代さん(五女・90才):「それちゅうんも、“あんねぇ”(年子さんのこと)が、とうとう千多代姉さん(三女・95才)の家から出てってしまったからだがね。そいだで4姉妹がね、3姉妹になってしもうた。昨日もね、買い物に出かけたら、“いちばん上のお姉さん、病気でもして寝込んでおられるの!? テレビじゃ、このごろ3姉妹だがね”と言われて、返事するのに困ってしもうた」
これまでにも、“あんねぇ”こと長女・年子さんが、同居する千多代さんの家を、ぷいと出ていったことがあった。が、それは些細な口ゲンカが原因で、1か月もしないうちに、年子さんは戻ってきたのだった。
ところが今回は違うようだ。年子さんは、息子夫婦が暮らす名古屋市内の実家に帰ってしまい、近くにある介護施設のデイサービスに通う日々だという。明るく、前向きな姿勢で助け合いながら生きてきた4姉妹――いったい、何があったのだろうか。
振り返れば、長女・年子さんと三女・千多代さんが、ひとつ屋根の下で暮らすようになったのは、今から10年ほど前のこと。年子さんが米寿(88才)を迎えるころだった。
それまで同じ名古屋市で、息子夫婦と暮らしていた年子さんだったが、万事嫁任せの生活をするうち、認知症の一歩手前のような状態になった。そんな姉の行く末を危惧した美根代さんが「“あんねぇ”に家事をさせる訓練をしたほうがええ」と、ひとり暮らしの千多代さんとの同居を提案したのだ。
美根代さん:「千多代姉さんは世話焼きだでね。そのちょっと前に、千多代姉さんの友達が息子夫婦に邪険にされて行くとこがなくなったところ、1年間も家に住まわせてあげたことがあったが」
千多代さん:「自分で言うのも変だが、私はほとけ様の生まれ変わりみたいに慈悲深い(笑い)」
しかし、いくら姉妹といえども、共同生活となれば、つまらぬことで意見が食い違い、ケンカになることもしばしば。そのたびに「仲がええだで、ケンカにもなるがね」――ふたりはそう思って、絆を強くしてきたのだ。
しかし、2013年の6月ごろから、年子さんの胸のうちにもやもやした思いが絡みつくようになった。それは100才を間近にして感じる、自分に対するふがいなさのようなものだった。
たとえば、家事ひとつするにしても、昔から千多代さんは段取りがうまく、てきぱきとこなす。だが、元来おっとりとした性格の年子さんは年のせいもあり、万事につけ動作が鈍くなってしまう。おのずと、家事全般を千多代さんに“おんぶにだっこ”という度合いが増すようになった。
ところが、その千多代さんも寄る年波で、これまでのようにてきぱきとはいかなくなった。洗濯物を干すときに庭石につまずいて転んだり、台所で鍋の煮物をひっくり返したり。夜、布団を敷くときに、ハア、ハアと息をあえがせるようになった。
パッと見には健康そうに見える千多代さんだが、ふたりの同居から10年余りが経ち、“老い”は、その体に確実に負荷をかけてきている…。
(このままじゃ、そのうち千多代が倒れてしまう)
“あんねぇ”にしか見えない、妹の些細な変化を目の当たりにし、年子さんは、日ましにその思いを強くしていった。
(私の世話をしてくれて、難儀をする妹を、このまま黙って見ていいのだろうか。いや、いつまでも、居候ではいかん)
年子さんの胸に、そんな思いが膨らんだ。幾度も逡巡した末、年子さんは、実家の蟹江家にやってきた。そして開口一番、美根代さんにこう切り出した。8月半ばのことだ。
年子さん:「もうこれ以上、千多代の世話にはなれん。互いに年をとったで、ここらで私は、息子んとこに戻ろうと思う。これまで家事一切を、千多代がせっせとやってくれて、私が楽をさせてもろうた。そいだで、そのことに感謝しながら、ここらで区切りをつけようと思うだが…」
突然の“あんねぇ”の申し出に、美根代さんは言葉を失いかけたが、しばらく間をおいて、
美根代さん:「“あんねぇ”がそう思うなら、そうしたほうがええ。もう、10年も一緒に暮らしたで、ここいらを潮時にして、自分の家に戻ったほうがええかもな。そうせんと、“あんねぇ”が、息子夫婦に忘れ去られるかもしれんでなぁ」
年子さんの胸中を慮って、そう答えたのだった。そして、それから2週間ほどが過ぎた9月初めに年子さんは千多代さんの家を出ていったのだった。
※女性セブン2014年1月9・16日号