演歌歌手・北島三郎(77才)の紅白“引退”のニュースは大きな衝撃をもって受け止められ、北島の存在感と日本人にとっての紅白、そして演歌の力を改めて考えさせられた。演歌は、聴き手にも生きざまを求める。人生の機微を味わうことで演歌の世界により入っていけるのだ。
北島を“兄さん”と慕う演歌歌手・前川清(65才)は最近、それを強く思うという。
「若いうちは感じなくても、仕事に就いたり、数々の出会いと別れを繰り返し、人生経験を重ねることで体感として歌詞の意味を理解できるようになっていく。私には、29才になる娘がいるんですが、最近、ぼくの『花の時・愛の時』(作詞・なかにし礼)を“いい歌”と言ってくれるようになりました」(前川)
前川自身も『花の時・愛の時』を歌っていた30年前は、「また逢えるのに、今すぐに逢いたくて」という歌詞の意味がわからなかった。
「『花の時・愛の時』は、恋愛の歌詞ですが、65才になってさまざまな人の死という別れを経験して、この歌詞がグッとしみるようになりました。さっきまで会ってた人は、もしかしたら、もう二度と会えないかもしれない。そんな大切な人を思いやる気持ちが込められていると思います」(前川)
年を重ねると演歌がよくなる理由は、人生経験を重ねることで、それまで見えなかった人間の業が見えてくるからなのだ。社会心理学者の碓井真史さんもこう話す。
「演歌で歌われるのは、故郷、酒、恋、失恋、結婚、親子、別れ、死、涙といったもので、若いころには、よくわからないものばかりです。人生経験を積むうちに、これらを深く味わうことができるようになり、演歌が好きになるのでしょう」
現代は情報過多社会とよくいわれる。テレビのバラエティー番組にはテロップがあふれ、スマホで簡単に何でも調べることができる。
1月1日発売予定の北島の新曲『人道』の作詞を担当し、千昌夫(66才)の『北国の春』など多くの演歌を手がけてきた作詞家のいではくさんは、聴き手が好む歌詞の傾向が変わってきたと指摘する。
「若い年代層であればあるほど、情報を詰めこまないと、聴き手が感情移入しにくい。あれもこれも説明してあげないといけない。行間を埋める想像力がない。社会に出て、人との関係に悩んだり、つらい思いをして投げやりになったり、そういう出口の見えないトンネルでもがき苦しむ体験は、人として成長するために大切なものです。だけど、今は世の中全体が、そういうことを体験しにくい社会になっている。だから、演歌の良さがわからない人が増えているのでは」
年齢を重ねても、演歌を自分の歌として受け止められない。『創られた「日本の心」神話』(光文社新書)著者で、大阪大学大学院文学研究科准教授の輪島裕介さんは、演歌の社会における位置が変わってきているのかもしれないと指摘する。
「日本人の心を表現する仕方が変わってるのに、演歌の形はあまりにも変わってない。かつて北島さんが歌った、ふるさとや農村は、そのままの形では今の日本人の心に添わない」
現在は、『会いたくて 会いたくて』などリアルな女心を歌う西野カナ(24才)の歌が、ギャル演歌と呼ばれている。
※女性セブン2014年1月9・16日号