大女優でありながら、夫・萬屋錦之介の借金などもあり、お金に苦労した淡路恵子さん(80才)。そんな淡路さんが「これから働こう」と考えたり、ある程度の仕事のブランクのある専業主婦に送る、励ましのメッセージとは。
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“ずっと家庭にいたから、外に出て仕事なんてできない”って思い込んでる女性。反対に“専業主婦に仕事なんかできない”って思い込んでる男性。どちらも間違いね。主婦の仕事ってホント、大変だもの。あれを「仕事じゃない、義務だ」なんてよく言えるよね。
ちなみに、私の母は昭和初期にしては珍しい職業婦人でした。仕事は助産師。だから戦争中なんか大変だったわよ。東京が空襲されるから、私たちは島根の親戚を頼って疎開してたんだけど、母だけは東京に残ったの。
なぜって、疎開先に妊婦さんを連れて行くわけにはいかないじゃない。赤ちゃんは生まれるのを待ってくれないよね。そういう事情を無視して助産師が疎開するわけにはいかないの。
母は空襲のさなかにだって、たくさんの命を取り上げたわ。すごい職業意識よね。そこには“女”として“母”として、そして“主婦”としての責任感があったのだと思います。
私には2人の兄がいるんだけど、長男は本当の兄じゃないの。ある日、父が生まれたばかりの赤ちゃんを連れて帰ってきたの、そして「この子をうちの息子として育てろ」って。いきなりな話よね。でも母も気丈な人だから、「あいよ」ってなもんよ。その瞬間から母は母になったわけ。
父が外の女に産ませた子ってわけじゃないのよ(笑い)。
父は茨城県の久慈浜で漁師の網元をやってたの。家には漁師の若い衆がたくさん出入りしてたんだって。昔の海の仕事は今よりもずっと危険だったからね。漁に出たまま遭難しちゃう場合もあったわけ。すると親のない子ができちゃうでしょ。母はそういう子を自分の子と分け隔てなく育てたってこと。
生みの親は違っても命に違いはないって考え方ね。そういう人だから、東京に出てから助産師をするようになっても優秀なのよ。
今でも忘れられないのは、私が最初の出産をしたときのこと。初めてのことだから、何がなんだかわからないうちに終わって、さぁ産湯を使うって段になって、看護師さんが来てくれたわけ。
でもうちの子は元気がいいのか、もうワーワー泣くの。で、これはだめだってことで、 2人目の看護師さんが来てくれた。でも泣きやまない。ちょうどそこに母が来て、「お湯に入れて泣かしっぱなしにしてると、お風呂嫌いになるからだめよ」って一言。
ひざにタオルをサッと広げて、生まれたばかりの息子をスッと抱き上げて、ガーゼでくるくるって包むの。するとすっぽり覆われたおかげで赤ちゃんは安心するのね。すぐに泣きやんで大人しくなったの。
そうなればこっちのもの、サササッと洗って、適温のお湯に入れてあげたら気持ちよくなったみたいで、おしっこをジョ~ってしてねぇ(笑い)。
これがプロの主婦であり、プロの助産師なんだって思い知らされました。仕事は生活の一部です。全てがつながっていると思うの。
特に家庭の仕事がこなせてる人はどこに行ったって大丈夫。なんだってできるわよ。そりゃ宇宙飛行士になれっていったって難しいかもしれないけどね(笑い)。女優くらいになら、なれるかも…。
※女性セブン2014年1月9・16日号