今ではほとんど見なくなったアンダースロー投法。打者から見ると、下からボールが浮き上がってくるように投げるためサブマリンとも呼ばれるその投げ方で、山田久志氏は日本プロ野球史上最多284勝をあげた。監督からの年賀状のわずかな違いに気づいた山田の繊細さについて、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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阪急・オリックスの監督だった上田利治から、毎年届く年賀状には、彼の几帳面な性格を表す“ひと言”が必ず書かれていた。それは選手たちに対しても同じ。蝶のように舞い、蜂のように刺す華麗なフォームで、“サブマリン”といわれた山田久志にも、上田からの賀状が毎年届けられ、そこには決まって「開幕は頼むでェ」のひと言が添えられていた。だが1987年の賀状だけは、少し違っていた。
メジャーのトム・シーバー(メッツなど)の記録を抜く13年連続の開幕投手記録がかかった年。書かれた文字は「頼むでェ」だけだった。「開幕」の2文字が抜けていたことに、人一倍繊細な山田は“オヤッ”と思った。
「プロ野球人にとっての正月は開幕の日。新しい年を迎えた時は“正月”は俺のものと自分で決めてキャンプに臨んでいた」
山田はいつもこう語っていた。この言葉はエースとしての自覚が言わせるものだった。だがこの年に限り、監督からは「開幕は頼むでェ」の声はかかっていない。そうなると余分な勘ぐりをするのが投手人間の悪い面でもある。
「監督が迷っていると思ったんだ。だから“自分には余分な気を遣わないでも結構ですから”と言ってしまった。そうしたら、“悪いなァ、ヤマ”と言われ、開幕投手がヨシ(佐藤義則=現楽天コーチ)になったんだ」
「ベテランを支えているのは気力8分に体力2分」と言われる世界。山田は今でこそ笑い話にしているが、この出来事が結果的に彼の引退を早めてしまった気がしてならない。開幕のマウンドに立てない落胆の大きさは、当時、山田家にパジャマを置き、寝食を共にしていた身として、わかりすぎるほどわかった。
※週刊ポスト2014年1月1・10日号