マンションのエントランスの脇に自転車を止めて、郵便受けに向かう。レインコートについた雨粒がチラシにつかないように気をつけながら、1枚1枚、入れていく。これで3円、6円、9円…。最後の郵便受けにチラシを押し込むと、自転車で次のマンションに向かう。
今日の目標は、日暮れまでに1000枚。これだけやっても、3000円。でも、ため息をついている暇はなかった。当時、40代だった神山昌子さん(69才)には、時間がなかったからだ。
まもなく、年に1度の試験の日がやってくる。直前くらいは、予備校でしっかり勉強をしたい。でも、お金がない。とはいえ、働くには、自由になる時間があまりに短い。
神山さんはシングルマザー。息子のための時間は削れない。だから空いた時間にできる、ポスティングの仕事を始めた。時給を考えると、効率のいい仕事とはいえない。それでも、働かないよりずっとよかった。
年末年始が近づくと、ピザや寿司、それに不用品処分のチラシが増えてくる。白い息を吐きながら、神山さんはその束を抱え、また次の郵便受けを目指す。神山さんの現在の仕事は弁護士。司法試験に合格したのは、23回挑戦し続けた末の59才の時だった。
それまでに経験したパートの種類は数え切れない。着付け教室の受付、居酒屋、区役所、国家試験の採点、保険外交員、クリーニング店、宅配便の配達、そして、ポスティング。生計を立てるため、仕事を選ばなかった。
「息子が1才にも満たないうちに離婚したので、正社員は難しくて。とりあえず自分の都合で働けるところを探して、10時から15時まで着付け教室の受付をしたんです。34才のときでした」(神山さん)
居酒屋のレジで働き始めてからは、子供を保育園に送ってから仕事に行くまでのわずかな時間の読書が楽しみだった。そこで、法律への興味を深めた。
「自分自身がなかなか離婚できなかったので、法律は自分たちを縛っているという感覚があったんですね。それで、法律って何だろうと思って、たまたま読んだ本が面白かったんです」(神山さん)
女手ひとつで子供を育てるなら、資格を持っていたほうがいい。そう思った神山さんは、以来、パートと司法試験のための勉強を両立させる。
「息子が小さかったときは、私が遊んでくれないといって、息子が泣いて足にしがみつくこともありました。あと、教材のテープを聴きながら自転車に乗っていたら、気を取られて転んで歯を折ったこともありましたね(笑い)」(神山さん)
それでも挑戦を続けたが、試験は年にたった1回。先の見えない勉強を続けながら、懸命にパートで生計を立てた。
「宅配便の配達では、『お前の荷物の置き方が気に入らない』などと言って、理不尽な怒られ方をされたことが何度もありました。人間って、相手が自分より下だと思ったら、怒鳴ってもいいと思うんでしょうね。でも、心の中で『今に見てなさい』って」(神山さん)
そんな神山さんも、10回続けて落ちたときは、諦めようと思った。その折れる心を支えたのは、子供の「弁護士は、お母さんの夢なんでしょ?」というひと言だった。それで再び奮起する。とはいえ、実際に合格したのはその13年後。その頃の自分と比べると、と神山さんは話す。
「生活に不安があるからと相談されて、『ポスティングでもなんでもやればいいじゃない!』って言うと、『私、そんなの、できない~』って。ああ、この人は仕事を選んでるんだ、って思いますね」
でもね、と神山さんは微笑む。
「やってみれば、なんとかなるよ。なるなる!」
予備校に通うお金すらままならなかった神山さん。悔しくてひとりで泣いたこともあった。しかし、それが逆に力になったのかもしれない。
「お金がないからこそ、私みたいな人間が弁護士になったら、何かの役に立てるはず」
そんな思いが彼女の心を支えたのだ。
※女性セブン2014年1月9・16日号